文章評論第一部
耽美試行

風俗日記
 1〜10 2016.9.1〜2016.12.13

  

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はたして、ここではいま、花舞、という小説を連載しているところですが、続きが書けない状態となっています。気が乗らないといったらいいのかもしれない。書けない。書けないから止めようかとおもうけれど、止める決断もできないのです。前例として、牡丹が咲く頃、という小説も試みの途中で、置いたままになっています。なんだろうか、筋が作れない、書く欲がでない、つまり、気分が前に向かないのです。

そこで、ここでは、小説を書くのをやめて、風俗日記というタイトルのエッセイというか日記というか、そういったたぐいの物を書いていこうと思うのです。読者を想定すると、まあ、ぼくを知ってくれてるひとが、読者として想定します。だから、あまり変なことは書けない。そうなんですね、匿名だと、かなりえぐいことが書けます。実名だと、これができない。これはどういうことなのか、と思うところです。

ここで小説を、つまりフィクションを作るのは、当分、やめようと思った。別のサイトで、匿名で書いているのがあるから、欲求の表出は、そこでやればいい、と思うことに落ち着いた。あとは、自分の興味に基づいて、この世での思うところを記述していけばいいのだ。年取れば枯れていくというのは嘘のように思える。確かに肉体は枯れていく。確実に枯れていくのですが、気持ちというか情感、これはますます豊かになっていくように感じています。

ことの細部にこだわるようですが、些細な、部分にこだわりを持ってしまう。フェティッシュという言葉の具体的なイメージは、この変質的な、あるいは変態的な、嗜好、の方へ向いている、とのようにも思える。死にゆくなんて、肉体が腐っていくことだし、感覚も腐っていく方向かな、とも思えてきている老体です。失ってしまうことへの反動なのか、性欲的なものへの憧れのようなものが、ふつふつと湧いてくる。生の残滓とでもいえる。これと、当分は、共存していこうと思うところだ。

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京都は嵯峨野に野宮神社というスポットがあります。この神社の説明書きには、源氏物語ゆかりの地、とあります。源氏物語は賢木の巻にこの地が描かれているといいます。女子が斎宮に任命されると、一年間、宮中の初斎院で身を清め、その後、野宮にて潔斎生活をする。その場所のひとつが此処、嵯峨野の野宮だというのです。ここで生活をする斎宮は、もちろん処女で16歳くらいだと、読んだ気がするけど、ぼくの推測で、高貴なお人への献上ブツ、まあ、女御も更衣も、そのための側近だったようで、江戸城の大奥の王朝風をイメージすればいいのか。

映画で大奥のイメージがつくられ、そういえば遠藤周作氏の小説にも小娘が召される話があったけど、だいたいは男の所有となる、いまでいえば差別の視点だとおもいますが、女の悲劇。縁結び、なんだか情緒的で心揺すられる光景ですが、おみくじを引いて自分を占うという行為、その意識の構造は、どんなものなのだろうか。紫野に七野神社というのがあって、ここは斎王さんが住んだといいます。なんだろう、禊ぎとか、身を清めるとか、祭りの神事のなかで、行なわれる儀式。ぼくは、まったく、この歳まで埒外におったし、これからも埒外にいると思うけど、興味があります。

日本の風景、という言葉がふつふつと湧いてきて、この日本という境界線の内側の風景を、自分ながらに定めないと次に進められないんじゃなか、と思うところです。まだ、ぼくのなかでは、混沌としていて、おおきな星雲のなか、ぽつんぽつんとイメージが起立してくる感じです。写真・静止画表現が、あたらしい領域に入り込んでいると仮定して、この仮定するイメージを、視覚の連なりとして、明確な思想の姿にしていかなければいけない、と思うところです。

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俗っぽく風俗日記なんてタイトルをつけてシリーズにしだした文章と写真です。タイトルをつけた本人が面食らっているというのが本音です。というのも、風俗、という言葉が持つイメージ、それにこの言葉が表す内容のこと。ぼくのイメージでは、男がいて女がいて、その男と女が登場して、恋して、愛しあって、交情しあう、ということへ繋がっていくんです。風俗というより、フウゾクとカタカナ表記がある意味を与えるようですが、ここではカタカナのフウゾクではなくて、漢字で風俗です。

風俗を物語としてとらえると、ぼくは、源氏物語なんて、その時代の風俗小説ではないのか、思ったりします。万葉集なんて、詳しくは読んでないけど、恋歌なんかあるけど、どうも風俗の範疇には入りきらない。徒然草なんて論外だし、奥の細道だって論外なイメージです。北野天満宮のまわりには、色恋の場所があるわけで、ひとつは上七軒、ひとつは五番町、です。上七軒にはお茶屋があって芸者がおって、それを花街というのだそうで、というのもぼくはそこで遊んだことがないから、推測。五番町はかって遊郭だった処で、読み識るだけの世界です。

撞木町という処が、伏見にあります。西鶴の好色一代男に出てくる処です。まだ30代の頃にはそこがそうだと知らなかったんですが、伏見ミュージックという名前の劇場があって、入るには入れなくて、スチール写真を横目で見やりながら、そこは通勤の道だったから。ああ、風俗という言葉のはなしから、脱線してしまいました。北野天満宮の縁日で、積まれた着物を物色する女性のすがたを見ます。時折、写真の添加物として撮り込むことがありますが、これらはたまたまというより意識的に撮り入れたものです。男から思う、生きられてきた女のイメージが、なんとなく風俗日記に絡んでいるようにも、思えるのです。

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現在の文化状況なんて堅苦しい言葉を使いたくないところだけれど、古い、とはいっても70年前に生まれた男にとっては、現在の流行の言葉が、使えないと感じるわけです。カメラをもって写真を撮るというのも、これはかなり慣れがあって、そこそこ、顰蹙を買うような場面も撮れたりしているわけです。ここにあげてる写真なんか、女子が物取りゲームに熱中しているところなんですが、団塊世代のぼくにはわからない、こんなゲームに夢中になる心理がわからない、と思うわけです。

ここでだから、本音のことをつぶやきますが、ほんと、わからないんです。といえば団塊世代と括られるぼくたちには共通のなにかがある、なんて言われても、それがなんたるかなんてわからない。要は自分のこと以外、わからない、というのが真意です。世代のなかでも他者は他者、世代を縦割りしてみても他者は他者、自分と他者、これが現在においても、明確なわけです。自分と他者なんてことを考える哲学の流れがあったようにも思えますが、ありましたよね、たしか。

自分の問題を考える、という自分がいて、一方で自分のことなんて自分では分からない、なんてことも言われたりして、なにがなんだか、迷宮入りになってしまう思考回路です。こんなわけのわからないことを言ってるのが、団塊世代の特徴なのか、とかも思うけど、真意はわかりません。団塊世代と全共闘世代というのは、ダブって重なっているんでしょうか。団塊世代はその年代に生まれた男女、具体的には1947年から1950年代初めまでの五年間ほどに生まれた男女かな。全共闘世代っていうのは、学生運動に参加していた人たちでしょう。

ぼくは18歳で社会人になって、二十歳を過ぎてから大学生になった男子です。自分で自分のことを遅れてきた青年、大江さんがそういう小説を書いていたか、ぼくの感覚は、そういう感覚、遅れてきた青年。ダサイと思っていましたよ、かっこよくない、そのころになると、フォークソングが流行、ヨットやゴルフ、といった遊びが流行る。自動車を手に入れて、ドライブに女の子を誘う、女子向き雑誌でアンアン、ノンノが流行るころ。いま2016年、テレビを見ていると、この世代をノスタルジックに語る番組がやたら多いことに気づきます。テレビメディアは、もう団塊世代のメディアなのか、と思わせる感じです。

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世の中には風説物語がたくさんあって、男と女の物語がたくさんあって、それも悲恋ものが多くて、果てには心中していくすがたに美を見いだすという風土があるように思います。ひとの関心事が、そのことにあるのは、生存のための食欲につぐ欲望、子孫を残すための行為にいたる前段のこと、男と女の物語なのでしょう。そもそも男が女に、女が男に、恋するといえばよろしいか、好きあうといえばよろしいか、相思相愛の関係になることがあります。これは恋愛関係で、ストレートに結ばれればラッキーなわけです。結ばれるということは、身体的に結ばれ、生活を共にする、共同体を形成する、ということに他なりません。

ところで、引用になりますが、曾根崎心中は世話物浄瑠璃、近松門左衛門作、1703年(元禄16年)竹本座初演の人形浄瑠璃・文楽、のちに歌舞伎の演目にもなる。相愛の若い男女の心中の物語である。「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜」で始まる有名な道行の最後の段は「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と結ばれ、お初と徳兵衛が命がけで恋を全うした美しい人間として描かれている。『曽根崎心中』は、元禄16年4月7日(1703年5月22日)早朝に大坂堂島新地天満屋の女郎「はつ(本名妙、21歳)」と内本町醤油商平野屋の手代である「徳兵衛(25歳)」が西成郡曾根崎村の露天神の森で情死した事件を題材にしている。この事件以降、露天神社はお初天神とも呼ばれる事が多くなった、とあります。

情死という言葉で語られる太宰治の死なんかは、女が一緒にいたわけで、その死を心中といわないのは、この二人に熱烈な恋愛関係がなかったからではないでしょうか。それにしても男と女が一緒に死にゆく、これを道行きというらしいが、その気持ちってゆうのがわかる、とはいいませんが、それに近い感情というのは、たぶん、おそらく、あのときのような感覚なんだろうな、と思うわけです。たまたま男のそばに女がいなかったから、それはそうならなかって、男も助かっているわけだけれど、もしも、そのとき女がいて、男の気持ちに情を抱いて、そういうことになっていたとしたら、それは情死ではなくて、道行き、心中、という括りになるのではないかと思うところです。

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神社仏閣が世界遺産に認定されていますが、ここは下鴨神社です。神社というとなんとなく厳かな気分になることができる。身を洗われるような感覚になれる場所です。この国、四方を海に囲まれた地域、南に延びる島々、日本語を話す区域といえばよろしいか、現在の日本のことです。ここは京都です。京都へ遷都されたのが西暦794年といいます。平安京と呼ばれている地域で、千年をこえて都であった場所です。雅び、鄙び、という分け方をすれば、雅びというイメージは、都の風物です。鄙びというイメージでは、田舎といいイメージで繊細なことがない、武骨なイメージを抱いています。もちろん、このイメージとしての区分が正しいなんてことは申しませんが、ぼくの感性ではそのように思えるところです。

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救急車のけたたましいサイレンが書斎の窓の下でする。ドアが開く音、救急隊員の声、上空にはヘリコプターの音。窓を少しひらけてみると、救急車が止まっています。だれが呼んだのか、年寄りが多い地域だし、日曜日の朝だし、病院へ行くにも行けないから救急車を呼んだのか。いま2016.11.13、時計は午前9時21分と表示しています。ごく最近、ぼくの趣向が変わったのか、風俗日記と名付けた表題が、ちょっとまぶしい気になって、これまでよりも錆びた文章を書かねばなるまいか、と思って、古事記の超現代語訳の文庫本を買ったところです。でも、これ、神代の出来事ですが、イザナキ、イザナミ、がまぐわう儀式をする、というんですね。古事記の、ほぼ冒頭ですよ、イザナキが男神、イザナミが女神、女神が男神に声をかけてまぐわったから流産してしまう、そこであらためて男神が声をかけて女神とまぐわい、めでたく5神が誕生した、なんてありました。

うみ、うむ、うまれる、漢字まじりで表記すると、海、生む、産まれる、なんてことになって、生々しく胎動するイメージで、豊饒の海イメージで、三島由紀夫の顔が浮かんできたりして、永井荷風や室生犀星のお顔が浮かんできたりして、室生犀星なんて、あにいもうと、だったか、性にめざめるころ、だったか、けっこうみずみずしい小説をかいているなぁ。島崎藤村は若菜集、これは詩集で、みずみずしい感性に満ちていたように思い出します。文学の、詩や小説なんぞは、けっこう心のなかがふうう〜〜っと浮いてしまいそうなイメージを彷彿とさせるなぁ。風俗小説とは、日常生活のなかにある心の揺れ動きを表現するものである、なんて定義してあげようか、いまの時代の形式で表現すれば、どういうものになるのでしょうか。模索します。

神社の本殿なんて、白木に装飾には金が使ってあるし、なんとなく侘び寂びというより、花華な感じがして、初々しいなぁ、と思わせます。ここには巫女さんがいないけれど、イメージしてみて、紅い袴に白い着物でしょ。この配色は日本の旗の色合いで、ぼくの心は、けっこうエロティシズムを感じるんです。豊かなふくらみといえばいいのか、こころがふくらむイメージです。アマテラスさんって女神だっていうじゃありませんか。太陽のことでしょうか、太陽は女神とイメージされるんですね。神様は鳥居の向こうの本殿にいらっしゃる。最近、インスタグラムで、鳥居の光景を撮ってアップしています。鳥居をくぐって社の中へはいりますが、鳥居の光景を撮るというのは、外側に居ることの証として、イメージしています。聖俗わけて、俗世界にいることでしか、ありえないなぁ、と思っているんです。

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近ごろ、再び、神社の鳥居に興味を覚えて、カメラを鳥居のある風景に向けているところです。からだのなかが枯れていく感覚は、年齢によるものだろうか、瑞々しさが失われ枯れていく感覚です。赤い鳥居があり白木の鳥居があり、石の鳥居があります。歳と共に赤塗りの鳥居が、このこころをうずうずさせる色彩のようです。花街での遊びとか、まったく縁のない人生を送ってきたわけですが、映画やその他のイメージで、着物を纏った女子どもが、きらびやかであったり、セクシーであったり、思えるのです。

近ごろは、レンタル着物ブームなのか、観光客が着物姿で街の中を、神社の中を、連れ添って歩く姿が目に留まります。神社ではおみくじを引き、自分の運勢を確かめる女子たち。若い女子たちの瑞々しさは、老いた男の目にはまぶしすぎます。おそらくその代償として、赤い鳥居なのではないかと思ってみたりです。

神社は聖域、神様が鎮座されている処です。この神様の名前は、古事記に原型があるのでしょうか。日本国の枠組みを創ってきた大きな物語がそこにはあるじゃないですか。その観点でいえば俗域は、男と女が居る風景の物語ということになるのではないでしょうか。恋する、愛する、恋しあう、愛しあう、男と女が居る風景です。神域にしても俗域にしても、人の気持ちというか心というか、身体ではない感覚の部分で、身体を操る処の眼には見えないものの存在が気になるのです。

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風俗という言葉が指し示す具体的なイメージはどういうものだろうか。近年ではフウゾクとカタカナで書いて、女が男を接待するという営業のことを指すようになっていると思っていますが、この女が男を接待する、あるいは歓ばせる、ということのなかには、いろいろな場面があって、いろいろな階層があって、それらの細かな内容は法文化されているところです。遊ぶ、という言葉では、遊郭という場所があって場面がありました。でもこの遊郭が営んだ遊び場は、もう半世紀以上も前に法的に解体されました。

京都には祇園という界隈があって、花街ともいわれる歴史的日本風俗の現場が残されています。京都を例にとると、花街が五か所あるとされていて、そのひとつが写真の現場、祇園巽橋界隈、観光地になっています。海外からの観光客でにぎわう白川にかかる巽橋、その前の辰巳社では記念撮影が行われて、情緒豊かな雰囲気を醸し出しています。作られたイメージとしての観光地です。ここは花街で、芸子さんや舞妓さんがいらして、本業は接客です。お茶屋とか置屋とか、芸子さんや舞妓さんが接待の表舞台がお茶屋、生活舞台が置屋、ということになりましょうか。

江戸の吉原、浪花の飛田、松島、そのことでいえば京都にも多々あって、北野の五番町、伏見の橦木町、ここにあげているのは遊郭といわれた場所です。いまもその残滓が残っていて、まだ当時の家屋もわずかながら残っているところです。こういう事らを総称して、ぼくは風俗という二文字で括って、個別を考えていこうと思うんです。大阪の飛田は山王町になりますが、ここはまだ公然と営業をおこなっていらっしゃいます。聞いた話、15分滞在で一万円くらい、そのような相場だと聞きましたが、本当でしょうか。伊弉諾と伊弉冉がまぐわったと同じことをするわけです。なにが公然かといえばその入り口にあたるあたりに交番所があって、警察官が黙認していると思うのは間違いでしょうか。

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和服、着物、そのしたにつける小物の類、たとえば、柔らかい絞りの帯、帯締め、赤い襦袢、長襦袢といった類のものが、公然と吊られ並べられ買い手を待っています。ぼくは、永井荷風や谷崎潤一郎、はたまた田山花袋とか、明治から昭和にかけて小説を書かれた作家の作品にダブらせて、それらのモノを見てしまいます。そんな有名な文豪と呼ばれる人たちの代表作品だけではなくて、その作品群を支える膨大な裾野にある小説とか物語とか、たとえば昭和20年代に発行される性風俗をあつかう雑誌の類とか、その時代時代にあった表現のなかみについて、興味をもつのです。

この写真が撮られた現場は、北野天満宮の縁日で、たくさんある古着屋のひとつ、その店先です。色とりどり、赤系が多いのは、下着に相当する隠すところを包む布だからかも知れないなと思います。日本の文化史においての着物柄とか、配色とか、その制作には絵画に由来することが多々あったのではないか。ぼくが生まれ育ちは西陣の端です。端という言い方をしたけれど、西陣織の機業地真っただ中のことです。ぼくの家系は父の母と父の妹は、織子でした。ぼくの体験では、高校3年生の時、ろうけつ染めの作業場でアルバイトしたことがあります。そのままながれれば、ぼくは西陣の中で織物業に従事していたかもしれません。

着物は文化です。小物も含めひとつの文化を形成しています。お茶、お花、そういったたしなみのとき、男も女も和服を着ているじゃないですか。精神文化をとらえると、その基底に和服への同感があるように思えます。けっこうセクシュアルな色感覚ですが、それは豊かな感情をはぐくむ源泉ではないだろうかと思います。着物が大量に生産されるのは、大正時代だと、大学の先生が発表されていたのを思い出します。ぼくは、着物が大量に編まれたのは江戸時代かとも思っていたけれど、じつは大正から昭和にかけてのようですね。この歳になってようやく日本の文化のひとつの流れが、イメージの中に浮かんでは消えていくようになったかな、と思うところです。













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最新更新日 2017.11.6


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