写真雑誌でいえば、1980年代の初めごろ、「写真時代」とか「写真生活」とか、主に女の子の裸を中心に情欲をかきたてる雑誌が書店に並びます。エロ本といわれて特殊扱いされていた書籍や雑誌が、いわば写真雑誌という名のもとに公然と姿を現したのです。ビデオはVHSで、繁華街の片隅にビデオを観る館がありました。これはいまもありますね。いまは、ネットの時代になって10数年、スマホの時代になって3年程ですかね。いまや、かっての時代には想像もできないくらいに、セックス映像が氾濫しています。これからも、まだまだ深く解放されていくのでしょうが、この先は読めません。ハードコアといわれる領域、SM領域。なんだか正常というよりアブノーマルな領域が当たり前になってきた感。映画がポルノと任侠を扱ったように、ネットはそれ以上にナマに無修正で配信されるのでしょう。
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この世に男と女があって、男と女が密着して、いい気持になって、子孫を残していく。このことを神の摂理とゆう言い方もあるかと思いますが、神様の存在を信じるか信じないかにもよりますが、小生は神様の存在よりもが科学的な論証を望んできたから、これは生命の摂理、男と女の自然の理です。なんて難しいことを言っているのがばからしくて、小生としては身体が要求する性欲たるものを、どうするかという問題なのです。おっとっと、小生は年齢が高くなってきているから、性欲といっても20代30代40代ほどには催さないようになっているところです。どうもこれは身体の変化というか、精子をつくる機能の、造られる量に拠るのではないか、と思えるのです。生物学とかのところで、どういう説明がなされるのかというのは、小生は関知しないところです。
そもそも性欲は、生命をもった動物であれば、あるものだと思えます。人間以外の動物は、人間のようなおしゃべりをしないから、その気持ったるものはわかりません。人間といったって、他人のことがわからないから、これは個人の経験値にもとずく話になってしまいます。とはいっても一般的に、世にあらわれる視覚を刺激する装置によって、みずからを情欲させることになります。みずからを情欲させる装置としての現在は、何があるのか。イメージとして静止画像、つまり写真があげられますね。かってであれば印刷物、エロ本、でしたが今なら、動画、テレビモニターとかパソコン画面とか、スマホ画面とか、つまり紙のうえではない装置によって、ということが主流なんでしょうね。小生はもっぱらパソコンによって、インターネットを通じてのホームページとかへアクセスして、視覚と聴覚をみてきいて情欲してしまうのです。
リアルとバーチャル、現実と仮想空間。ほんとうは現実のリアルで、結婚という儀式をふまえたうえで、男と女が交情し、性欲を満足させるのがいいのです。でも、現実には、それだけではなくて、そのまわりに様々な性欲を満たす装置が、配置されているのが現実です。小生は、たまたまフィクション・小説という分野に興味があって、ここ10年ほどは読むとゆうより書き手のほうにまわっています。わかいころに読むことがあったエロ文学、地下本といわれていた領域、これを目指していこうと思っているんです。芸術表現には様々な方法とジャンルがあるわけですが、小生は文学・小説という方法でエロスジャンルを選択しているといえます。さて、そのエロスジャンルの表現の中身です。やっぱり究極を求めたいと考えていて、文章による究極の描写を求めています。さて、この究極の描写とは如何に、ということですね。
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木屋町の二条と三条の間には、高瀬川の船発着場があって、その場所は日本銀行京都支店の裏にあたります。高瀬川といえば淀から二条のこの発着場まで荷物を運ぶための運河です。角倉了以が作ったとされる高瀬川。森鴎外の小説には高瀬舟という作品があります。罪人を西国へ流すためにもこの川が使われる。罪人を乗せた高瀬舟が下っていきます。夜のとばりがおりるころ、木屋町通りをはさんだ側の大きなお屋敷、いまは「がんこ」という料理屋になっている此処で、小生は宴会に出席するために参じたのです。ふ〜っと脳裏をよぎってくるのは、明確な言葉でもなく、明確なイメージでもないのですが、しかしかなり明確なイメージが浮かんでくるのでした。着衣の女の姿、色めかしい女の姿、けっこうロマンポルノチックな風情の、昭和か大正イメージの、そうですねモガ、モダンガール風な和服の女、竹下夢二ではなくて、それよりもう少し濃い色艶の女が主人公の物語・・・・。
なにやらひとりでいるときは、妄想にあけくれているような老人です。若い、ピチピチ、皺のない肌、そんな女が目の前に見えます、なんていえば幻覚症状がでているんじゃない、と言われそうですが、たしかに幻覚かもしれないけれど、頭のなかに浮かんでは消えていきます。からだのそとにある視覚イメージとしての写真、音声をともなった映像、それらをパソコンの画面を通して、いつでも見ようと思えば見られます。欲を出さなければ無料でそれなりに深いところまで、バーチャル体験できるんです。よもやまそんなものを見るだけじゃなくて、コレクションして、作品に使うなんてことをしていて時間を過ごす。こんな時間、決して無駄だとは思っていなくて、パスカルさんじゃないけれど、生きてるもがきを感じながらも命ある限り求めるんだな、と思っていて充実、しかし空しい。
空しいといえば、肉体が滅びて行くことを自覚すればするほど空しい気分になります。性欲を満たす代わりに食欲を満たす。その食欲だって加齢とともに新陳代謝機能が落ちてきて、食べ過ぎて消化できなくなって肥満になってしまう。どうしたら、この欲求を解消できるのか。オナニーなんてできないよ、うずうず性欲がおこってきてもそこまでのことには至らない。森鴎外の高瀬舟から、えらい飛躍になっている文章だけど、森鴎外は、小生、大学三年生のときのゼミで選んだ作家なのです。でも、本音で語っていないよね、本質ってゆうか、しょせん物語としてあって、本音の感情なんて表出させていないよね、といいながらここだって、言いたいことありながら本音が言えていない。えろすかろすを標榜してるんだから、もっとエロスとカロスに徹しないといけない、でも実名だから、ペンネームなら出来る、出来ますね。
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<えろす>というのは性欲を伴なう感情を表わす言葉だと思うんです。それから<かろす>というのは美、目を見張るような美的感情を表わす言葉だと思うんです。だから<えろすかろす>という表し方は、小生の感覚からいえば、性的で美的な領域における感情であろうかと思います。エロスにはタナトスという反語で、生と死、なんて語られていたようですが、ここではエロスとカロス、同義語に近い並べ方です。なんだか理屈的に書いているのがもどかしい気分です。でも、こうして文章にしないと論理の構築、積み重ねができないから、仕方がないです。あへあへ、ひいひい、こんな文字を羅列していても論理構築にはなりません。あへあへ、ひいひい、これは論理構築がベースにあって生きる言葉の羅列なわけです。いやはや、<えろす>も<かろす>も生の本質にかかわる事柄だと思っているんです。生きているからだとこころがあって、えろすは横へのひろがり、かろすは縦へのひろがり、性への欲求と美への欲求、といえばわかりやすいかもしれません。
小説はフィクション、作り事だといいますが、それは想像力のたまもの、人間特有のイマージネーション能力がなせるところでしょう。作家という動物が、頭の中にイメージする映像らしきものを、言葉に置き換えていく作業が小説であってフィクションなのです。つくりごとのなかに生きている証を求めていくんです。つくる側の立場としては、映像の細部の部分を言葉に置き換えて、表記していきます。映像なら性器が見えるのはよろしくない、禁止されていますが、言葉ならどういう表記がいけないのでしょうか。性器を言い当てる言葉でしょうか。行為を言い当てる言葉でしょうか。猥褻って言葉がありますが、これは性的な感情を呼び起こすことを指しているのでしょうか。現状ではかなりあいまいなことですが、これは主観にかかるところで、権力を持った人が、主観によって決まる。自主規制って言葉がありますが、そうではないかな?と思ったらそれは使わない、ということでしょうから、逆に、それを使う、というのも芸術のためには必要でしょう。
芸術家がまま政治や経済の規制を超えたところで作品を制作することがあると思うんです。この、規制を超えたところ、というのがどういう処なのか、これを認識しておかないといけません。この場所、処とは、いまある体制を突き崩そうとすること、の立場からのことでしょうか。体制というものは枠があるんです。社会を形作るシステムでしょう。このシステムを崩す暴力なんかは、戦争だったり内戦だったり、これは極めて明らかにわかります。でも、個人のこころのなかのこと、精神といいますか、この心の中のことを、外に出されたところで規制されるんですね。日本国内においての映像表現の限界は、だいたい性器が見えないところまでなら、許されると思えます。これが文字表現、文章表現となると、どうなんでしょうか、使ってはいけない放送用語とか新聞用語とかはあると思うんですが、インターネットにおける個人が商用目的ではなくて、ホームページやブログにおいて使える、単語または文章の制約のことです。
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唐十郎が主宰した唐組の写真集で、状況劇場全記録、という書籍が小生の書架に収まっています。1960年代から1970年代、もう半世紀近く昔のことなのですが、小生にしてみれば、二十歳ごろの学生のころの、おもはゆい感情を伴なった記憶のかけらが散りばめられた、それは目に見える形で残されている写真集&文章です。というのも小生は、1980年代の初め、その流れとも無縁でない東方夜想会・白虎社の写真を撮っていて、全くの未発表ネガをスキャンした画像で、ネットのアルバムにアップしたところなのです。あらためて、いま、その時代、そのイメージを再録すると、エロスでありジャポニズムな雰囲気を醸しているように思えます。小生は状況劇場の公演を見ていません。オクテの小生には当時演劇界のそういった動向は知りません。知るのはそれが終わったころに、その流れをくむ白虎社の取材を始めた連鎖でした。
生きている証は肉体、小生は男体だから、男のからだです。子を孕む女体ではないから、小生の興味はその女体に向けられます。その象徴である胸と股間に、興味は集中します。これって、ごくごく普通の異性への興味であって、細部にこだわるフェチの部類ではないと思っています。ところが、それだけにとどまらず、その女体に縄をかける、拘束具をつけさせる。そういったイメージを具体的な写真にして見せられる。これはどうしたことか。小生は受益者であって、その恩恵を受ける側でした。自らがその主体となるのは妻との交渉だけです。まだ妻と巡りあう二十歳前から、俗に云うエロ本、エロ映画の類を見るわけです。書店に並ぶエロ本を買ったことはありません。友達から見せてもらうことでした。ネットやビデオがなかった時代だから、映像を見るには映画館へ赴かなければならなりませんでした。
大阪は北浜近くに10Wギャラリーって名前の主に写真イメージを展示する空間があります。10Wと書いてテンワットと読むんだと思いますが、小生は今年の夏ごろから、何度かそこの展示を見ています。ロマンポルノっていう呼び方は、1970年代の日活映画が、軟派路線を打ち出して制作しはじめた映画の全体イメージが、これでした。ロマンとポルノを組み合わせたシリーズで、それぞれの映画のタイトルは、情欲をそそる文字が羅列です。なんとなく卑猥な感覚を醸しださせる文字、言葉の、そのイメージを抱かされるのは、たぶんこのあたりのタイトルなどが無意識に心の襞に織りこまれているのかも知れません。その10Wギャラリー、2015年春の企画はパロマンポルノポスター展が開催される。東學と書いてあずまがくと読む名前の人が描くポスター展です。奇才と冠詞された東學氏の描き方には、それはこころ揺すられる感動ものです。
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映画会社日活(にっかつ)のロマンポルノは、1971年から1988年まで制作された成人映画です。1100本が公開されたと記されています。小生は、映画館へ足を運んでの鑑賞はしていません。当時では、広告のポスターを見る程度でした。その頃といえば、ストリップ劇場がいくつかありました。このストリップ劇場へも足を運んだことはありません。小生、二十歳代のことです。ロマンポルノが上映されるようになるまえ、1960年代の後半は、パートカラー映画、主にはモノクロ映画だけど部分的にカラーになるというピンク映画。その当時はピンク映画と呼んでいたと思います。ピンク映画、三本立て、夏の暑い日中、クーラーが効いた館内で、冬の風景のなかで裸の女子があらわれる、そんな鑑賞のしかたで観たものです。京都住まいの小生は、まだ浪人時代でしたから、時間はけっこうあった。京都御苑の東側は寺町通り、新島会館の近くにっ文化会館という名前の映画館がありました。小生が、ピンク映画を観たのは、この文化会館でした。
高校生のころから外国映画をよく見ました。イタリア映画、鉄道員、種着駅、ブーベの恋人、なんだか懐かしい名前のタイトル、太陽がいっぱい、アランドロン、これは観ていなくて、近年BSで観ました。カトリーヌドヌーブ、オードリーヘップバーン、思い出がいまよみがえってきます。そういったなかで、封印されていた領域、それがえろす、エロス、性の領域でした。中学の三年生だれだったか、自分の部屋を持っているお金持ちの子の家へ、友達数人と遊びに行って、そこで彼の机の引き出しに仕舞われていた女性の裸が載った雑誌を見た。友達といっしょに裸体写真集を見たのはこのときが最初であり、最後です。高校生になったとき、だれかがガリ刷りの冊子をまわしてくれた。温泉場で密かに売られているエロ本、地下本の類、ガリ刷りの文字だけの冊子です。興奮しましたよ、若いからだだから、性欲を発情させるには自慰しかないから、それに励むということになります。男子中学生から高校生の性欲処理については、当時は語ることタブーであったと思うんです。
高校生になると、百科事典を紐解くようになるじゃないですか。小生が見れた百科事典は、平凡社が発行していた分厚い本です。密かな興味は女性器の名称とか構造とか。百科事典で該当の検索で引くと、説明文とともに詳細な絵が載っていました。女性器の正面から開いてみた姿。その構造に名称がつけられていて、丹念にそれを読むのでした。現在なら、ネットで検索すれば、それは出てきます。写真はダメで絵です。写真であれ映像であれ、女性器を見ることはできません。現在なら無修正という画像です。実際に見ようとすれば、それは現実の女性のそれを見るしかないわけで、そんなことは高校生の小生に出来る術もありません。彼女ができて、彼女のそれを見たのは、もう二十歳を過ぎてからのことでした。学校での性教育なんて、男子にはありませんでした。いつのまにか知るようになったわけだけれど、小学校の何年生だったか、人が入らない草叢に落ちている、ぐしゃぐしゃのチリ紙をひろげて、眺めて、渇いた処の匂いを嗅いでいた年上の、たぶん中学生の男子の姿を見て、小生にはその意味がわかりませんでした。
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もう半世紀ほども前の話しですが、当時八ミリ映画が手ごろに撮れるようになったころだったと思いますが、この八ミリ映画の上映会とかに連れられていったことがあります。アパートの階段をあがっていった先の一室は、狭い四畳半くらいだったかと思うけれど、窓には遮光カーテンがかけられてほぼ暗闇、暗室になるんです。八ミリ映画の直径5pか6pくらいのオープンリールは、上映時間三分です。カラーの八ミリ、なにが撮られているのかといえば、女の性器、それを男が眺め、弄り、それを接写している、というストーリーです。男子のハメ込は、見た記憶がないから、それは無かったと思います。映写機が回るジーーーという音、映写機から洩れる光の印象、それから50p角ほどのスクリーンに映し出される女体、ぎこちない動作、なにやら喋っているが音声は録音されていなくて、映写機の回る音だけが、静寂を破ってきます。三本立てだったか終見終わったあと、500円をまだ若い男に払って、外に出ると、明るさが閃光のごとく思えて、眩くて、くらくらとしてしまったのです。
そのころ70年代に入っていたと思いますが、外国旅行に行ってきた、たぶん米国、ハワイなのかも知れないですが、その時に購入したという八ミリ映画を見たことがあります。動画を見るということは、映写機という装置がいるから、一般には手元になくて、持っている人のところで鑑賞するということになりました。この八ミリフィルムは、リールの直径が10p以上あったように思えます。だから上映時間は三分ではなく、十五分くらいだったのではないかと思います。アメリカ産のブルーフィルムは、とにかくあっけからんとしたイメージで、暗さはありません。それと外国から薄っぺらい写真集が持ち込まれてきて、見せてもらったことがあります。とにかく、半世紀ほど前というのは、ビデオもなくネットもなくて、動く絵はフィルム、それも八ミリフィルムなら、映写機があれば簡単に上映できたのだと思います。
ビデオ装置が売り出されて、知人が高価な買い物だと言いながらもお買いになられて、一晩、借りたことがあります。すでにVHSのカセットビデオで、テレビモニターにつないで見ることができます。テレビ放送と同じ画面で見るから、それはもう内心びっくりしました。ええ、アダルトビデオ、無修正のモノ、ナマそのもの、これは時間が一時間とかの長さだから、それに音声が入っているから、それはそれは、そんなことがこの世に出現しているというびっくりです。昭和の時代、1970年代のおわりごろから1980年代のなかばぐらいでしたか、ビデオデッキではなくて録音録画ができて再生ができるという機材です。再生だけができるビデオデッキが普及しだしたのが何時頃だったのか記憶が曖昧ですが、通信販売で裏ビデオ五本一万円とかの値段で、流通していました。小生は直接に購入したことはありませんが、知人から譲り受けた裏ビデオが手元にありました。