物語のブログ


秋立ちて-1-

 1〜8 2018.9.17〜2018.9.30

 

-1-
 陶芸家大田多恵の初個展記事が地元新聞のアート欄に掲載されことの反応といえば、むしろ経済界からのまなざしで脚光を浴びたことだ。というのも地元経済界の重鎮大田耕造の孫娘が、陶芸家としてデビューするからだった。個展会場は表千家裏千家がある小川寺の内。茶道の道具を扱う京陶苑の二階特設会場で、そこはギャラリーになっていて、60平米の会場に、多恵の茶器を含む陶芸作品28点が並んだ。
「はい、黒田先生、よかったら、お手にとってご覧いただいても、うれしいです」
黒塗りのハイヤーに乗ってきた高齢のお方は、宮家の筋のお方で、財力はそれほど持ってはいないが、知性あふれた紳士だ。名は黒田寛一といい、京都では考古学者として大学で教鞭をとったのち、名誉教授職となり、地元新聞で二か月に一度のコラム連載をされている。年齢たすでに八十を超えていて、多恵の祖父太田耕造とは交友関係にあった。
「お嬢さん、多恵さん、美しい色彩が出ているね、新しい茶碗だな」
「先生に褒めていただいて、わたくし、うれしいです」
黒田はステッキを持ち、ダブルの黒いスーツを着こなしていて、それはよそ行きの服装だ。若い、とはいっても四十は過ぎているスーツ姿の男性がお供についてきている。
「いやぁああ、黒田先生、よく来ていただけました、ありがとうございます」
京陶苑の経営者佐々木郁夫が、挨拶、黒田寛一の目に適うと、店としても箔が付くというものだ。
「なかなか、たいしたものだ、お嬢さん、がんばりなさいね」
「ありがとうございます、よろしくお願いいたします」
ギャラリーは社交場だ。大田多恵の家柄は、お上御用達、和装着物などを製造して卸す会社の本家だ。商人とはいえ、学舎も輩出しているし、日本画家も輩出している家柄だ。多恵が陶芸の世界で、花開くには、ふさわしいバックヤードといえる。
「よろしくお願いいたします」
多恵も佐々木と共にお礼をのべる。秋口になってもまだ暑さが残る九月半ば、多恵は半袖のおしゃれなワンピースを着こなし、美女の仕草だ。女子の年齢は聞くに及ばないが、すでに三十の半ば過ぎる。独身だ。銀閣寺の近くに陶房を持っており、生活もそこでしている独り暮らしだ。

-2-
 個展会場には、太田耕造の孫娘だというだけで、各界の名士たちが鑑賞に訪れる。京陶苑のオーナー佐々木が応対にあたるから、多恵は挨拶だけで、簡単な会話を交わすだけで、さりげなく時間が過ぎていく。三日目になって、まだ四十になるかならないかのスーツを着こなした男子が訪れてきた。多恵の見覚えがある顔。会場になる二階への階段を上がってきた男を見て、多恵が会釈する。思い出せない、見覚えがある、誰だったか、多恵は記憶を辿るが、思い出せない。
「新聞記事をみましてね、のぞみで先ほど京都に着いて、ここへやってきましたよ、こんにちは」
男は、微笑を浮かべて、多恵に挨拶をしてくる。東京から新幹線でやってきたことがわかって、多恵の記憶から、その顔を紡ぎ出そうとして、大学の先輩になる、北村信之、そのとき名前は思い出さなかったが、あの出来事以来の男子だと思い当たった。
「北村です、もう十年も前ですね、思い出されましたか、太田さん」
「そうですね、きたむらさん、おひさしぶりでございます、ありがとうございます」
礼儀は礼儀、かって親しかったとはいえ、いまは遠くからの来客、こころときめいたが、多恵は冷静さを保った。知り合いで、特に深い関係になった男ではなかったが、同人誌をやっていて、その仲間の大宮太一が死んだときには、この北村信之がその場を取り仕切ったものだった。
「東都新聞の芸術欄に、京都で陶芸の個展があって、好評だとの記事があって、名前をみると大田多恵さん、あの、太田さん、いいえ、多恵ちゃん、そう思うと、会いたくなった、そうして、来ちゃった」
「はい、思い出しました、北村さん、北村先輩、ご無沙汰いたしておりました」
初日には軽装のワンピース姿だった多恵は、三日目は淡いブルー地の着物姿だ。虹のような色彩をちりばめた陶器と比較すると、着物は落ち着いて静かだ。
「ええ、雑誌記者をやっておって、記事にしようかと思っておって、インタビューほしい」
「知りませんでした、月刊誌陶苑の記者さんですか、そういえば美学でしたね、先輩」
「多恵ちゃんが、陶芸やってるって、知らなかった、見る処、将来有望な陶芸家だと」
「ああん、それはでっちあげみたいなもので、わたしは、そんなんじゃないのに」
「でも、いいじゃないですか、お家柄、いい筋じゃないですか、記事にしたら受けますよ」
「ありがとうございます、そうですね、夜七時以降なら」
「ぼくは、烏丸ホテルだから、そこのロビーで、お待ちするか」
「わかりました、お伺いします、よろしくお願いします」
半時間程個展会場にいた北村が去ったあと、京陶苑オーナーの佐々木が、多恵との関係を尋ねてきた。多恵は、大学の先輩で、同人誌を主宰されていて、わたしも参加していて、顔見知り程度の関係でした、と語った。佐々木は北村の名刺を見ながら、雑誌記者をやっていることに興味を抱いて、懇意になることを模索するのだった。

-3-
 多恵が烏丸ホテルのロビーに行くと、北村は喫茶の大きな窓際のテーブルにいた。多恵は和服のままだが、北村はデニムのズボンに綿シャツ姿だ。北村が手を振って、ここだよ、と合図している。多恵は、見つけて、軽く会釈して、テーブルの横に向きあうソファーに座った。
「お久しぶりです、お懐かしい、もう北村さんとお呼びすれば、よろしいでしょうか」
「なあんだ、そんなに賢くぶらなくったっていいですよ、多恵ちゃん、信でいいよ、ノブ」
「そうですね、ノブさんでしたね、懐かしいです、わたしはノブさんじゃなくて、北村先輩でしたけど」
「まあ、どちらでも、呼びやすい方で呼んでいただければ、いいんですよ」
北村信之は、懐かしいという顔付をし、ほほえみ、多恵の顔を見、和服姿を見、足元まで見下ろす。多恵は、北村の目線をうけて、肩がすくむ思いもしたが、懐かさに、親しみ、を感じた。大きなホテルではなくビジネスホテルだから、喫茶といっても軽いしつらえで、朝には朝食の席になる場所だ。喉の渇きを覚えて、多恵はオレンジジュースを頼んだ。北村は、ホットコーヒーのお替りを、リクルートスーツを着たようなウエイトレスにに頼んだ。
「陶芸家デビューと紹介されていたし、京都のお茶のメッカだし、東京では京都ブームだし、フレームはいいな」
「ノブ先輩は、出版社におられて、記者さんをされていて、ジャーナリストになるとおっしゃっていて、そのとおりなんですね」
北村のことは、それほど詳しくは知らない多恵だけど、同人誌のリーダー格だったから、まったく知らないことでもない。当時からダンディな男子だったが、それから十年、いっそう東京仕込みのダンディーさをこなしている風に見える。
「陶芸の道に入ったとは、わからないなぁ、多恵ちゃんは、詩人になると、思っていたけれど」
「詩人ですかぁ、まあ、いまでも、書いたりするけど、文章は奥深いから」
「そういう言い方だと、陶芸だって、奥深い、芸を極めるって、奥が深い、そう思うけど」
北村は、多恵の学生時代のことをイメージで描ける男だ。たしかに多恵は詩人らしく詩を書いていて、例会の場で朗読して、自作自演していたことを、記憶しているのだ。
「陶芸は、25を過ぎてから、からだを使いたかったから」
「でも、よくここまで、来れたんだ、アーティストだな、多恵ちゃん」
「いえいえ、家族のおかげです、資金支援してもらっているし、感謝です」
昔の話をしたいと思う北村だが、現在の多恵の立ち位置を話題にしはじめたところだ。北村は多恵よりも七年ほどの年長で、当時は大学の院生だった。文芸批評を手掛けながら、美術批評も試みていたと、多恵は記憶している。もう十五年も前のことだ。多恵が大学二回生だったころの話だ。大宮太一という大学の医学部でインターンをしていた男子が死んだ。話題にすることもなく、記憶の底に仕舞われたままだけど、多恵には思い起こすことがままある。北村の後輩、多恵の先輩、大宮は医学部に在学で、家業は精神科の病院経営をしていた。その御曹司だ。その大宮が死んだというので、同人仲間は驚いた。その中に多恵もいたのだった。

-4-
 北村は、翌朝早くののぞみで東京への帰途についた。昨日、多恵とは十数年ぶりに会って、これからあとに繋がったことで、北村は救われた気持ちになった。北村の出身地は北海道だったから、京都に縁があったというのは、大学が京都だったからで、あしかけ十年ほど京都に住んでいて、東京の出版社に職を得て、東京に住むようになったのだ。仕事は、雑誌編集兼記者兼ライターを兼ねていて、月刊誌陶苑の編集次長の立場だ。
<そもそも、あの太田多恵が、陶芸家になるとは思わなかったな、しかし、家柄も良いし、美貌だし、だが年はもう三十五だ>
<あの大田多恵が、京都の老舗の茶道具屋ギャラリーでデビューするとはなぁ、それにあの色彩は美しい>
大学生のころは詩を詠んでいた多恵のことを記憶している北村は、多恵が後輩でいて、まだ未婚だというので、あらためて興味を持った。男子学生が多かった同人に女子は二人で、大田多恵と水際紗子、小柄で華奢な多恵と、大柄で男勝りの紗子が、性格的には対照的な二人だったが、仲は良かったと記憶している。
「次長、京都の秋、いかがでした、満喫されましたか」
編集局に配属の野村真紀は北村の部下になる三十前の女子だ。出社して、経費精算の伝票を野村真紀に渡したとき、彼女が話を切りだした。
「陶芸家大田多恵の個展をご覧になりに京都まで、行かれたんですか」
「それだけじゃないよ、老舗の店のギャラリーだし、近づいておくのは、なにかといいだろ」
「たしかに、京陶苑でしたっけ、そこのお抱え陶芸家、筋はいいですね」
野村真紀は、仕事ができることで、才女と言われているが、北村には手ごわい相手で、殻をかぶった鉄仮面のようにも思える女子だ。北村が京都の私学の美学専攻に対して、真紀は東京の私学の美学専攻だ。年齢の差は干支でひとまわり、先輩と後輩というより、上司と部下、仲は悪くない、できる女子だから、北村は一目置いている。信頼している、仕事はテキパキ、事務処理は抜群の能力を持った女子だ。
「作家さん、たくさんいるけど、京都の大田多恵さん、何派でもなく、独立窯ですよね」
「京都の財界の系だ、親戚に、画家や学者もいる家系だ、いかにも日本的な背景を持つ女性だよ」
「そうなんですね、わたしは静岡だし、北村次長は札幌、バックヤードは普通並み、ですものね」
「そうなんだよな、作品なんて、良いといえば良いし、悪いといえば悪いし、だよな」
「それで、太田さんの作品は、どうでしたの、良いほうへの部類でしたか」
「うん、まあ、デビューしても、やっていけるだろうな、斬新だ」
編集部の野村真紀は、北村の過去のこと、大田多恵との関係を知らない。ただ北村信之と野村真紀、いまのところ関係といっても男女の関係があったわけではない。そういう立場の北村編集次長と、部下の野村真紀だ。

-5-
 多恵の個展は盛況のうちに終った。会期が二週間で、京陶苑の企画展だから、費用はそれほどかからなかった。多恵はそれらの思惑の中で作家の知名度をあげていくためには、利用しようと思っている。雑誌の記事にされる。良いことだ。先輩の北村信之が編集次長をしているとは知らなかったが、東京から取材をかねて会いに来たことを、嬉しく想う多恵だ。
「盛会でよかった、大田多恵の名前が売れれば、京陶苑としても誉れ高い」
「はい、ありがとうございます、佐々木さん、これからもよろしくお願いします」
個展会場となった京陶苑は、茶の湯の本場で昔から由緒ある場所にある。邪道ではなく歴史性もある本道だから、京陶苑専属の陶芸作家としてもまだデビューするところの多恵だから、マネージメントを佐々木に委ねていいと思っている。
「いろいろ、さまざま、京都から、ニューヨークやパリへ、持って行ってもいいね」
「ありがとうございます、わたし、詩人、ええ、ポエムの詩人やりたかったんですけど」
「いや、詩も作ったらいいじゃない、文章センスもあるなぁ、と思っているよ」
 多恵の陶房は銀閣寺の近く、古民家を改造してもらって、制作と居住をひとつの家屋にまとめていた。表を店にすると留守番が必要となるので店は併設していない。哲学の道の一角に陶芸品を扱う店があるので、此処に陳列させてもらって、買い求めてもらえる、という仕組みを作った。もちろん寺の内小川の京陶苑でも販売するが、こちらの店では高級品扱いだ。
 個展を終えて、久々に、朝から一日、陶房にいられる多恵は、日常に戻ろうと気持ちを切り替える。来客の予定はないから、一日、のんべんだらりと時間を過ごすことに決めた。遅めの朝、六つ切りのトーストを一枚、バターではなくてマーガリン、体によくはないと言われているがカロリー低めのマーガリン、それに小さじ半分の白砂糖をまぶして食べる。飲み物は贅沢珈琲だ。ミルクは飲むときと飲まないときがあって、今朝は飲むことにした。独り住まいだ。三十半ばを過ぎた独り身だ。どうしようかとの思いもあるが、気に入ってすがりたいと思う男とも出会わないから、そのままだ。見合いはしない。実家の筋から二十五くらいまでは、見合いの話がいくつかあった。多恵は断った。恋愛がしたかった。いまだって恋愛がしたい。恋愛の末に結婚がある。そのようにしか考えられない新進陶芸家、大田多恵だ。

-6-
 家屋の東側が山の斜面になっているから朝日は射しこんでこない。晴れた日だから、明るさが窓からはいってくる。キッチンがあり、テーブルがあり、椅子がある。明るさがはいってくる引き違いの掃き出し窓の外は庭。庭といっても小さな庭で、多恵はあまり管理しないから雑草が生えている。その向こうはブロック塀だけど、都会の片隅の庭空間としては落ち着ける。ミルクを入れたコップは、ガラスをやっている優佳が作ったもので、半透明だが薄いコップで軽い。コーヒーのカップは自作のマグカップを使っている。北村の姿を脳裏に浮かべる。先日会った北村の姿だ。恋していたわけではなかったが、避けていたわけではなくて、呼ばれれば都合をつけて同席した。批評会は例会で月に一遍、大学の学生会館の一室を借りて行っていた。クラブでも同好会でもなかったから、専用のクラブボックスはなかったから、ミーティングは学校近くの喫茶店。例会の批評会は会議室だった。雑誌発行後の合評会は少し広めの事前予約が必要な部屋だった。北村の直近の姿を思い出しながら、そのころの光景が、浮かんでは消える。それでも、もう、多恵は、大学三回生になっていた。
「日本の文学だけど、外国の潮流をふまえて、テーマ出しをしないとだめだよ」
「そうね、現代性っていうのかしら、内面描写が必要とされますよね」
「その内面描写が、いま現代、その内面、ということなんだなぁ」
「いま、現代、その内面、ですかぁ、そうですね、詩にもいえますよね」
あれは秋、会館の窓からみえた、楠の葉がゆさゆさ揺れるざわめきを奇妙に思い出す多恵だ。北村が多恵が制作した詩を、批評する言葉を思い出す。文学と陶芸は違う、と人はいうけれど、多恵は、その底流にある制作者の内面は、表現されてしかるべき。言葉という具体的なやり取りではなくて、抽象的なイメージの交換だから、違うといえば違うかもしれないが、感覚的にはよく似たことじゃないかしら。独りごと。多恵は珈琲カップを右手に持ったまま、窓の雑草を見ている。かってあった北村との会話を、咀嚼しながら思い出す。
<散歩しよう、哲学の道、ひといっぱいやろなぁ>
多恵は、遅めの朝をおえ、少し散歩することにした。玄関を出て、坂になる小道を右手にいくと、哲学の道にでる。外国からの観光客にも人気スポットだ。自分が焼いた器が並ぶ店のまえを通る。立ち寄らない。そのまま哲学の道を歩き出す。ゆっくりした歩調で、南の方へと歩むのだ。

-7-
 哲学の道、ゆるゆると川にそって歩きながら、多恵にはあれこれと、頭の中で思いが巡っている。関心ごとの大半は自分の陶芸作品のことだ。初めての個展を終えて、一段落したところだが、次のイメージを紡ぎ出さないといけない。作風のレパートリーを広げるということだ。秋の気配がしている哲学の道。すれ違う男女のペア。外国からの観光客グループは男女混合だ。多恵は、北村信之の顔を思い浮かべる。京都にいるが、知り合いになっている方々は、陶芸関係で、それぞれに利害があるから、素直な気持ちでは接しられない。その点でいえば、出版社の編集部にいる北村にしても、利害関係になるのかも知れないが、大学時代の先輩だし、それなりに親しかったから、本音で話ができる人なのかも知れない。
 多恵のスマホに、LINEで内村友子からメッセージが入ってきた。個展おわって、いま、なにしてる、と問うてきた。散歩中、と返信すると、何処を散歩中かと聞いてきたので、哲学の道、と返信した。おひる、ランチしないか、というのだ。予定がないからゆっくりしようと思っていた矢先のLINEだった。北白川まで来るというので、午後一時に待ち合わせすることになった。内村友子は日本画家。シングルマザーで小学二年生の男子と二人暮らしをしている。学童保育に入れてあるから昼間午後五時頃までは空いているという。多恵より二つ上で三十七、先の全国展で作品が入選したということで、入選三年目だ。画壇に内村友子の名前が少し浸透してきたところだ。
「そうね、初個展やったし、緊張したわよ、二週間」
「おつかれさま、でも、好評だったんでしょ、多恵ちゃんの作品」
「そうだね、けっこう、かっこう、ついたかな、内容はわかんないけど」
「内容は、批評家が褒めれば、内容の価値はついてくる、やっぱり批評家しだいよ」
「友子さんは入選三回でしょ、絵もやっぱり批評家さん?」
「流行みたいなのもあるし、それにのらないといけないし、そこよ」
「いい人いるの?、多恵ちゃんには」
「いい人いるの?、友子さんには」
「まあね、わたしは、子連れだしさ、からだだけなら、ねえ」
「いないのよ、わたし、いないから、どうしたものかと」
「なによ、多恵ちゃんはお嬢様だし、特権階級なんだから、週刊誌、気ぃつけなさいよ」
白川通りにある午後のイタリアンの店、明るいガラス窓から光が注いでくる。多恵の髪の毛はあっさりショートカットだから、ボーイッシュに見える。友子はといえば、女そのものイメージだ。とても子連れとは見えない品のいい淑女、日本画家だ。

-8-
 内村友子と別れて陶房に戻ったのは、もう午後四時前になっていた。陶房の名前は多恵陶芸工房。名前をそのまま使って陶芸工房は陶房と略した。和風瓦葺の二階建て、陶房は八畳間四つの正方形、二階は居宅スペースで、知り合いの設計事務所に頼んで、炊事も洗濯もできるようにしてもらった。居間と寝室、フローリング基調だが、畳の間は四畳半。ひとり暮らしだから、畳の間にベッドをおいて寝室にしている。バスもトイレも、二階の畳の間に隣接させた設計になっている。多恵陶房には来客があると、道路ぎわに区切ったスペースを設けていて、そこが応接スペースだ。和風の仕立てで、黒基調だ。道路に面した玄関から土間になっていて、かなり贅沢な広さの陶房も、乾燥棚や釉薬棚や道具が置かれているから、広くは思えない。ろくろは電動、焼く窯は電気だ。ひととおり土を練るところからの作業だが、練られた土を買うことが多い。だが、陶房で取材を受けることがあるので、京陶苑の佐々木オーナーのアドバイスで、土盛りやマキの束を積んだところも作ってある。
 二階スペースは休息場、フローリングの事務作業場で、ノートブックパソコンの電源を入れた。数年前から使いだしたスマホで、用は足せるというものの、自分のホームページの管理などもあるので、パソコンを使う。あまりネットサーフィンしないが、気になるニュースは開いてみることにしている。何もない、多恵陶房ブログ、という発信ブログを作っているので、短文だけど日記を書いた。夜の食事は、ひとり暮らしだから、それがわかるように、料理をしてスマホで写真を撮ってパソコンに転送し、ブログにアップする。
<うんうん、ああ、どないしょ、載せちゃうかぁ、この写真>
陶房の棚を撮ったスマホ写真だ。多恵陶房のことを知ってもらう。親しみを持って知ってもらう。フェースブックにもアップする。記事をアップすると、イイネがつけられ、コメントが寄せられる。なるべくプライベートにしておいて、作り話、というフィクションをして、自分イメージを作っている。ひとりでいると、いろいろと顔が浮かんでは消えていく。大宮太一の顔は、合評会のときの記念写真の顔を思い出す。医学部の学生で、キリリとした端正な顔立ちだ。その顔は、大宮が亡くなる一年前の写真の顔だ。
 死んだという知らせを、北村から聞かされたのは、葬儀がおわった後の同人例会の時だった。自殺だと聞かされ、なにが原因なのかはわからないまま、その大宮太一の死を、多恵には、素直には受けとめられなかった。大宮太一とは特別な関係ではなかったが、三年上の男子で、柔らかな物腰で、優しそうな内面をもっていた、と多恵は思う。多恵の詩を、評価してくれた人だ。学生仲間に毛が生えた程度の人の集まりだから、評価してもらえるからといって、著名な批評家の言葉とは重さが違うが、多恵には、内面、大宮太一とは共有できる心があると思えていた。
<病院のあと継ぐのが重荷だった、なんて北村さん言ってたけど、それは表向きだと思うのよね>
多恵が大宮に訊きたくても訊けないのだから、推測するしかないけれど、死んでしまう気持ちが、三十を過ぎたあたりから、共有できる感じがする多恵だ。前を向いていく自分なのに、どうして死んでしまった男子のことが気になるのか、多恵には理解しがたいことだ。とはいえ、女が男に注ぐ好感以上に、恋をこえて愛の共有なのかも知れない、と思ったり、そんなんじゃない、と思ったりで結論はわからない。






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最新更新日 2018.12.2


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