立春の頃-1-

 1〜8 2022.2.6〜2022.2.13

 

-1-
陶芸家の肩書をつけられて、新聞の記事になった島田京子は、三条小橋の近く、木屋町画廊で、日本画家の佐伯東吾(40)との二人展を開催しています。京子は大学の文化学科で学んだあと、陶芸の専門学校で学んだ32歳。まだ個展するほどには成熟していなくて、画家佐伯東吾の壁面とテーブルに陶芸作品を並べさせてもらった、といえばいい。
「はい、陶芸歴、まだ十年未満なので、たいしたことないです」
「作品の出来は、経験年数じゃないでしょう、センスと技術ですよね」
「佐伯先生とは、どういうお知り合いでしたか、奇妙な取り合わせなので」
「先輩と後輩、大学のオーケストラで、佐伯先生もわたくしもバイオリンなので」
「そうだったのですが、それはそれは、でも、もっと深いご関係では、ないのですか」
雑誌の記者が、インタビューに来てくれて、京都に育った京子が、記事として取り上げられます。展覧会はビルの二階で開催され、一階は絵のお店、地階は居酒屋、業界ではそれなりに由緒ある展覧会場でもある木屋町画廊です。
「わたしの陶房ですか、銀閣寺、ご存じですよね、哲学の道、そこから山の方へ少し」
「いいえ、お店は持っていません、清水坂のお土産屋さんに、置かせてもらっています」
「芸術作品だなんて、とんでもありません、ごはん食べるお茶碗、お汁も入れられる」
「島田さんの作品は、白が基調ですから、やっぱり春ですね」
京子が制作した陶器を店頭に並べてもらっているお店の店員向井良一が、木屋町画廊へやってきて、鑑賞してくれます。淡い霞がかかったような作風の日本画、白基調の陶器、春めいてきた世間に、寄り添うように企画された二人展です。
「島田さんの陶器、もう芸術作品ですよね、店でも宣伝します」
向井良一は、文学を、小説を書いていて、それでは喰えないから土産物店で働いている27歳。京子の陶芸作品が、というより女のヒトということに興味を抱いているのです。清楚な、シンプルな服を好む京子のからだに、男として、女に向ける興味をもっています。
「やあぁ、お知り合いですか、佐伯です」
佐伯が、京子と会話する良一に、話しかけてきます。
「はい、清水坂の土産物店で、店員してる向井と申します」
男同士、京子を中において、けん制する感じ、作家の佐伯が優位に立ちます。

-2-
京子の陶芸作品で、淡い虹をあしらったお茶碗が好評になっていて、雑誌に載りました。そのプロフィールには、京都生まれ、京都育ち、バイオリニストを目指すも、陶芸学校卒業後、陶芸に打ち込んできた才女、とあります。家庭が資産家で、陶芸にうちこんで稼ぎがなくても、生活には困らない京子です。銀閣寺近くの山ぎわに古民家があったので、借家ではなくて父の名義で買ってもらって、一階を陶房にしていて、生活は二階です。
「はい、ええ、ありがとうございます」
木屋町画廊のオーナー高瀬啓介からの電話で、新聞社から、画廊で京子の写真を撮りたい、という話しがあって、取材を受けてほしいとの連絡でした。日本画家の佐伯より、お添え物として展示している陶芸作家のほうが注目を浴びている、ということです。
「はい、あした、午後、はい、三時、画廊の方へ参ります」
取材には、京都人らしく和装で応じようと思う京子。普段着でもいいけれど、そこは女性、自分を創る、イメージつくりです。
「新聞社のカメラマンしてる、神津です」
神津和夫と書かれた名刺を差し出され、京子は、肩書のない島田京子と住所だけの名刺を交わします。陶芸の台を後ろにして、椅子に座り写真を撮られます。同伴の記者は女子で、顔立ちもいいから、テレビにでも出られそうな、女子アナです。京子は、原則、テレビは見ないから、世間からズレているかも知れません。
「春らしい、立春のイメージ、淡い色彩のお茶碗ですね」
「そう、佐伯画伯のイメージに合わせてみたものです」
「佐伯先生は、当社のカルチャスクールでも、教えていらっしゃる」
「そうですね、先生していらっしゃる、わたしも先生したいなぁ」
「佐伯先生まだ若くて、筋もいいから、お値段も高い、びっくりするくらい」
女子アナは、陶芸家の話題から絵描きの話題へと移っていきます。日本画家佐伯東吾の家系は、三代にわたる画家筋で。東吾は三代目、祖父、父、その家系で、若くして画壇にデビューしているのです。
「島田さんは、バイオリンの名手だとお聞きしておりますが、どうして陶芸?」
「最近は、土を捏ねるばかりで、バイオリンは弾けませんねぇ」
「佐伯先生もバイオリニストだとお聞きしていますが」
「大学のオーケストラで、先輩と後輩、なんです、佐伯先生とは」
インタビューを受けている間も、神津カメラマンが、京子の写真を撮っています。取材が終わって、久々に着た和装、着物を脱ぎたく思うのですが、脱ぐ術もなく、陶房の自宅に戻ったのは夜方でした。

-3-
インタビューを受けた翌日、京子が木屋町画廊の留守番にいくと、佐伯がすでに来ていて、作家二人が在廊することになりました。画廊のオーナー高瀬さんもこの日は在廊していて、都合三人が画廊に滞在することになりました。
「珍しいね、佐伯くんと島田さんが、一緒にいてくれるなんて」
「そうですね、なかなか二人、一緒におれなくて、申し訳ないです」
「いや、佐伯くん、来たお客さん、よろこぶよ、ありがとう」
画廊経験30年の高瀬さんは、還暦を迎えられる美術業界通です。佐伯の父清一の作品を扱っていて、その関係で、清一の息子佐伯東吾の作品を扱っています。その東吾の推薦で、若き陶芸家島田京子の作品を扱うようになったのでした。
「もう10年も前になるのかしら、佐伯さん、恋してらした」
「そうだね、京子のともだち、大村和子、大学生だったじゃないか」
「その和子が、佐伯さんのこと好きだって、言ったのよ」
「それで、ぼく、恋してたのに、つきあわなかった」
「絵描きの家柄にはあわないから、でしょ、和子、かわいそうに」
佐伯は、絵描きとしてデビューすべく作品作りに励んでいました。大村和子はシングルマザーの子、苦労して大学生になっていて、格式を重んじている日本画家の系譜には馴染まないと、親から言われたというのです。和子は卒業と同時に京都を離れ、東京近郊の中学校の先生として赴任していきました。
「ご存じでした?、こどもできてたのに、おろしたのよ、和子」
佐伯は、そのことは、知りませんでした。シングルマザーになることは、しませんでした。画廊にお客がきたので、京子と佐伯の会話は中断です。お客さんはカップル、近くのラブホテルを利用してきたあとなのかも知れません。京子は、見知らにカップルが、手を繋いでいるのを見て、勝手に想像したのです。カップルの女は、京子と同年齢くらいに見えます。京子の陶芸作品に興味を惹かれたようで、淡い虹柄のお茶碗が、雑誌に紹介されていたと言って、値段は三千円、買い求めてくれたのです。

-4-
佐伯は、独りアトリエで、絵を描いているとき、どうしようもなく、虚しさにおそわれることがあります。理屈ではなく、気持ちが落ち込むのです。地面が割れ、その割れ目にはまって、奈落におちるといえばいいのか、そういう感覚です。祖父、父の系譜を背負って、むしろ反発して大学は総合大学で美学を学びました。絵描きになるつもりはなく、なにより絵を描く技術のうえで父は祖父を超えることなど、どうしても思えなかったのです。現実から逃避したい気持ち、そういえば大学のオーケストラの後輩になる大村和子に、すがりつくようにして恋して愛したのでした。
<ああ、あのとき>
佐伯は、自分が描く絵に、作品として、自信が持てなかったのに、三十歳にして美術界にデビューしたのは、親の七光りとして持て囃されたけれど、それはでっちあげだと、真摯な佐伯には、そう思えたのです。和子を抱くことで、重荷から逃れることができたのだ、と今になって思うのです。もし、和子がいなかったら、自死していたかもしれない、とも思う佐伯東吾です。
「そう、授賞式のレセプションがおわって、彼女がいたわってくれた」
「彼女は、ぼくが実力で賞をもらったのではないことを、見通していた」
「そういうぼくの落ち込みに、彼女は、支えてくれた」
佐伯は、十代の後半には、絵描きの道を歩むようにしむけられてきたから、それに従おうと思って、努力しました。その努力が実って、技法的にはそれだけの才能を発揮しました。でも作品に、こころが乗り移っていかなかった。作品への酷評はなかったものの、誉め言葉、美辞麗句は、批評家が拠って立つ業界へのリップサービスであったように、思えるのでした。
「佐伯さんは、もう売れっ子の画家さん、優しい大人、ですもの」
「そうかなぁ、島田さんの陶芸こそ、ひとの心を打つんだよね」
土産物屋に並べているお茶碗と、画廊に並べたお茶碗は、同じレベルなのに、画廊に並んだお茶碗には賛美の声がついてきます。ひとの心を打つ陶芸のお茶碗とは、どんなんやろ、京子には、価値の基準がわからないのです。
「展示が終わったら、良一のお店に並べてくれたら、いいのよ」
「ひえぇ、そんなこと、できますかいな、ここのは美術作品じゃないですか」
「そんなことあらへん、お土産の店先も、画廊の展示も、おなじ、同じ価値のはずよ」
会期終了にあたって、土産物屋で店員をしている向井良一が、手伝いに来てくれていたのです。

-5-
京子の日常は、朝、目覚めて、身支度まえに珈琲を淹れます。珈琲豆は白川通りにあるお店から買った、独特の香り、酸味の少ないまろやかな味、二杯分淹れてマグカップで一杯分です。
<おはよう、おはよう、おはよう>
お喋りではなく、ひとりごと、心の中でつぶやくだけです。昨日、日本画の佐伯とコラボさせてもらった展覧会が終わって、ホッとしたところの朝です。二階建ての古民家、二階が居住空間なので、バスもトイレもキッチンも、二階に設えてあります。一人住まい、リビングにしているのは四畳半のフローリングの部屋です。東に窓があるので、朝日がはいります。窓からは小さいけれど庭が見下ろせます。一階の陶房から続きの庭です。
<きょうは、ゆっくりしょ、陶芸は、おやすみしょ>
トーストを焼き、バター仕立てのマーガリンをぬって、はちみつです。独り身は気楽だというけれど、ひそかに恋人を求めている自分に気がつきます。やっぱり、恋愛、結婚、結婚しても陶芸続けられたらいいんだけど。三十を越えたころから、結婚して、子供作って、主婦してもいいなぁ、とも思います。でも、陶芸作家として、デビューしたところだから、まだまだひとり気儘に日々を送るつもりです。
<エッセイかぁ、日記をアレンジして、島田京子のエッセイ、陶芸日記、かなぁ>
大学は文学系だったし、子供の頃からのピアノとバイオリン、大学ではオーケストラび参加して、そうそう、佐伯さんと知り合ったのは、オーケストラの先輩と後輩、だったから。学生時代、もう、10年以上も前のことです。
<どないしてるんやろ、和子、会いたいなぁ、行こうかなぁ>
親友だったから、その後にも連絡はとっていて、東京の渋谷で会います。珈琲を飲みながら、京子は、和子にLINEしてみる。今日は平日だから、和子は仕事してるので、夜に会うことになります。東京では、一泊して、いや二泊になるかも知れない、京子は、午後の新幹線で行こうと思います。
<久しぶりよ、東京行き、ギャラリー巡りも、いいなぁ>
京都生まれ、京都育ち、学校も京都だったから、東京のことは余り知りません。京子は、ホテルの予約をとって、和子からはLINEで、会えるという返事がありました。着替えだけ、バッグにいれて、軽装で、旅たちです。
<いくら残っているのかしら、まあ、クレジット使えば、いい>
お金には、ほぼ困っていない京子です。実業家の娘だから、必要経費は親から振り込んでもらっている京子。陶芸家になっていく京子を見守っているのは、父親です。作家になるには金がかかる、というので、京子にとっては、夢が実現しているというところ、恵まれた環境です。

-6-
京子が東京駅に着いたのは午後四時でした。中学校の教員をしている和子と会うのは、渋谷、午後六時です。まだ時間があるので、表参道のギャラリーへと赴きます。陶芸作家の作品を展示販売している翔(しょう)という小さなギャラリーです。
「こんにちは、ええ、京都から、です」
「そうなの、京都からなの、島田京子さん、そうなの、陶芸家さんよね」
ギャラリー翔のバイヤーさん、名刺をもらって、岸間みどり、という名前、雑誌のインタビューでお見受けした女性です。
「まだ、個展は、したことなくて、日本画の作家さんとコラボさせてもらったところです」
「そうなの、京都なの、陶房は、銀閣寺の近くなの、そうなの」
京子は、このギャラリー翔で個展をしたいなぁ、と遠くは京都から、思っていた処へ来た感動が、岸間みどりと面談する格好になって、なにかしら近い処へ来てる、って気持ちです。小一時間在廊して、渋谷へ向かって、大村和子との約束の場所へ、わかりやすいハチ公前です。久しぶりに会う、三年近く会っていません。大村和子は、大学が京都でしたから、京都のことはよく知っています。でも、卒業以来京都へ赴いたことはありません。京子が東京へ来たときに、会う、会って泊めてもらう、今回もまた、和子のところで泊めてもらうのです。
「そっかぁ、作品展してたんよね、いいわねぇ」
「和子はどうなの、忙しい?、中学の先生、大変みたいね」
「もう、10年もやってると、慣れたもんよ、慣れよねぇ」
「佐伯さんとコラボで、絵と陶器と、雑誌にも載るかもしれない」
「佐伯かぁ、いろいろあったなぁ、もう、昔のことだよねぇ」
渋谷の駅から道玄坂のほうへ歩いたところの、パスタのお店で、食事している京子と和子です。まだ独身、もう三十を越えた二人ですが、まだ独り身です。
「彼がいるんよ、でも、できたら、結婚するわよ」
「そうなの、いるんかぁ、和子、美女やしなぁ」
「なにゆうてるん、京子、陶芸家の道に入って、モテてるんやろ」
「わたしなんか、ずっと、独りかもしれへんなぁ、家庭なんて持たれへん」
昔の佐伯のことは話題にのせなくて、こんかい一緒に展覧会を開いたことだけを、和子に告げる京子です。

-7-
パスタのお店を出て、渋谷駅の方へ、スクランブル交差点には人がいっぱいです。京子には、久しぶりの東京で、ここへ来たら時代が動いてるって実感します。和子が、中学校の先生になって、まだ未婚のまま、彼がいると言ったことに、京子は、うらやましい、という気持ちになります。喫茶店で、お茶する京子と和子。
「ほんと、東京は、にぎやかやわ」
「でも、さ、わたしって、何?、なんて思う、孤独よ」
「彼がいたら、解消できるんじゃない、わたし、彼、いないもん」
「気は、まぎれるけど、学校の先生も、わたしに、向いてないのかも、と」
「でも、わたし、そうね、器つくっているとき、満たされているのかなぁ」
和子は、京子からみれば、きっちり社会人してるウーマンに見えます。自分で稼いで、自分で生活していて、経済的自立しているのが、素晴らしいと思えます。
「そう、彼とは、ラブホで、過ごすだけに、してるの」
「だって、昔のことね、学生だったし、熱中しすぎたから」
「あなたは、資産家の娘、一人っ子、それよか、わたし、自由かも、ね」
和子は、しんみり、京子に会えて、よかった、との思いで、自分のことを打ち明けます。先生仕事の同僚も、仕事のうえでのつきあいだし、彼といってもセックスだけのつきあい、のように思えている和子です。
「ひとりでいると、泣けてくるんよ、もういい歳して、なにしてるん、って思っちゃう」
京子は、自由の身、とは思いながら、まったく自由ではなくて、すべて束縛されたなかで陶芸家という肩書をもらいつつ、家と社会に拘束されていると自覚しはじめています。
「そうね、好きなヒト、まだ、出会えていないわ、わたし」
「恋愛しても、家のことあるし、家、棄てられへんし、籠のなかの鳥ちゃんよ」
京子には、ひそかに好意を抱きだしている男がいると、自分の心のなかでは露わになってきている思いがあります。でも、養子縁組だし、それ相応の拝啓をもった男性でないといけないし、と思うと、恋を成熟させるのにも、それらの配慮をしなければ、婿さんを迎えられないと思います。日本画家の佐伯東吾が、自分に近づいてきている、と感じだしている京子ですが、関係はまだまだ未定の形です。

-8-
教員をしている和子とは、食事して、お茶して、渋谷で別れた京子です。和子は、明日も仕事だというので、予定を変更。宿泊を無理強いもできないので、郊外のビジネスホテルに宿泊することにしました。中央線で立川まで行って、電話で予約したホテルに入ります。もう午後11時がとっくに過ぎていて、侘しい気持ちを抱いたまま、京子は、狭いベッドだけの部屋、服を脱ぎ裸になってから、少しだけくつろぎ、バスにお湯をいれ、浴槽に浸かります。たっぷりお湯をいれるのが好きな京子。浴槽に足を伸ばし、からだを手でさすり、股をなぶって乳房まわりをなぶります。
<だれか、ええヒト、おらんかなぁ、わたし、あかんわ、オクテやから>
32歳、陶芸家の肩書を使いだした島田京子。東京のビジネスホテルで、孤独を味わいます。淋しい、支えてほしい、独りになっているとき、経済的には、資産に支えられているけれど、お金では、心を支えてもらえない、愛がほしい、愛したい、浴槽からあがって、ソープでからだを洗い、バスタオルで丹念に皮膚を拭き、コンビニで買ったお茶を飲み、裸のまま、ベッドの縁に座ります。カーテンを少し開いて、夜が更けた街を見下ろします。
<あした、ゆっくり、おのぼりさん、してみようかな>
特に、行先があるわけでもない京子です。うつらうつら眠って、疲れていたのか、目が覚めたのは九時前でした。朝食をつけていない素泊まりだから、身支度して、ビジネスホテルを出たのが10時過ぎです。川崎の方へ行く電車があるので、京子は、中央線ではなくて、南武線に乗り、途中、乗り換え、横浜へやってきました。港町、横浜、海が見えない京都だから、港町、横浜、京子は、波止場に立って、佇み、街角のカフェに入って、朝昼兼用で、ハンバーグのセットを注文、午後には、新横浜から新幹線で京都へ帰ろうと思います。
<みんな忙しそうやなぁ、みんな、どこへ行こうとしてるのかなぁ>
街の光景を見、駅のホームの光景を見ながら、京子は、自分が立っているこの場所を、不思議に思えてくるのです。
<陶芸って、わたしって、土から作ってないし、釜は電気やし、陶芸家ちゃうわなぁ>
表向きは陶芸家、作家として振る舞っているけど、創作陶芸、なにしてるんやろ、わたし、京子は車窓に富士山が見えないので、ちょっと落胆しています。京都、帰ったら、清水坂のお店、向井良一が接客しているお土産のお店へ行ってみようと思います。






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最新更新日 2022.2.23


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