文章評論第二部
物語と小説のブログ


雑記
 1〜9 2018.8.10〜2018.9.16

 

今日は8月10日、お盆にはいって、死者の霊を迎えるこの世の行事が行われています。
昨日のことですが、スマホとコンデジカメラをもって、お盆を撮りにいきました。
夢幻舞台、1983年の夏ですね、写真と文章、本にまとめました。
それ以来、この時期、お盆の時期を、ぼくは「夢幻舞台」と呼んでいます。
今朝は、調子よく、シュナーベルのベートーベンピアノソナタを聴いています。
かなりボリュームをあげて、聴いています。
流れるメロディー、ベートーベンのソナタ、ぼくのお盆に、ふさわしいと思う。
このブログを「淡水の小説と雑記ブログ」と名称変更しました。
気持ち的には18禁ではない小説を書きたい、浪漫的小説を書きたい、と思っています。
ライブドアの方でブログを作ったけれど、フェースブックと連動しないようになった。
ここなら、フェースブックに連動させることが、できています。
ソーシャルメディア側の都合で、連動しなくなったようですね、たぶん。
こちらは使わせてもらう方だから、それなりにベターな方法を選ばなくちゃ。
小説といって、どれだけのモノが書けるのか、まあ、自己満足、そういうことです。
シュナーベル演奏のベートーベン、ピアノソナタは、1965年にレコード全集を買ったもの。
いまは、デジタルデーターで、パソコンに取り込んで、聴いています。
そのレコードはエンジェル赤盤といって、赤いLPレコードの上下二巻の全集です。
いまは手元になく、ぼくが理事していたメディア図書館に寄託してあります。
年を取ると昔の話がしたくなる。
記憶を辿り、自分の存在をアピール、認知して欲しいとの欲求でしょうか。
自分の殻だというのかも知れなくて、読者なんて、いや、読者ほしいです。
今朝はここまで。

今日は8月15日、おはようございます。
この一週間、世の中お盆のことで、あちこちと取材してまいりました。
今日は73年前に戦争が終わったという日ですね。
それらの日々のことを知らされるにつれ、心が痛みます。
ぼくは、翌年に生まれているので、よみがえるのは戦争終結後の記憶です。
遠い遠い遠い、内面に即していえば、そんな感覚です。
ここではフィクションを試みたいと思って、投稿画面を開けるのです。
なかなか腰が上がらなくて、もたもた、雑文を書いていて、これ準備体操です。
ここには嵯峨野慕情、京都北物語と書きさしの二編があるんです。
三部目西陣界隈を舞台にしたフィクションを書きたいと思っているところですが。
前に書いたさくら協奏曲に似た内容かなとも思いながら、そうではない内容で、とか。
おもうところいろいろあって、最初の一句が書きだせないところです。
京都の北西に北野天満宮がありまして、神社としてはここがポイントになる気がします。
千本の中立売から西へ円弧を描くように来ると一条通りと合流して、下の森の鳥居になった。
いまはその界隈、警察の官舎だとか上京警察署になっていて、北野天満宮はここからです。
御前の今出川に鳥居があって、ここが天満宮の境内になっていく参道です。
この天満宮を中心として、人の心が行き交う、情が交感される、という場になります。
そういう地理的な平面を背景に、人と人の模様を書いておきたいな、とおもうところです。

今朝は、思いもかけず涼しい、外の空気は25度だと、ラヂオで言っていました。
昨夜は大文字で、はじめて家でテレビの中継をみながら過ごしました。
書斎の窓からスマホで望遠にしてシャッターを切ったけれど、少しぶれています。
5時半ごろにこの椅子に座ったのに、もう7時前、そろそろ朝の行動しなくちゃ。
このブログに書くとき、頭の中には、人のお顔が浮かんでは消えていきます。
朝、目覚めて、人恋しくなって、フェースブックに「おはよう」と書きます。
今朝はアメバのブログに「おはよう」を書いて、いま、ここに、いてます。
小説と雑記のブログで、雑記ばかりですね、小説というか、そういう文が書けない。
個別の方のお名前は書きませんが、いつもイイネをいただく方には、感謝です。
SNSの効用は、人恋し気持ちを解消してくれる、ということでしょうかね。
これは新しい、ネットワークアート、の形になるのかも知れないなぁ。
こころとこころを結ぶ、面識ない方とも、こころが通じているような気持ち。
むしろ、気持ちと気持ちが、交差しているように感じる、これはアートの形です。
浮遊しているアートする気持ち、アートを個人の心情に降ろしたときの形です。
個人の時代の個人と個人、バーチャルアート、ネットワークアート、メディアートですね。

 

雑記-1-
 淡水が載せる写真イメージに、この地蔵さんの姿があります。鍬形地蔵尊と名付けられていまして、地蔵院の正面の祠にいらっしゃいます。地蔵院といってもピンとこないお方もいらっしゃると思うので、ここの場所をお教えしましょう。京都は西大路の一条角にある寺院です。十一面観音像があり阿弥陀如来像があります。墓があり五色の椿がある地蔵院です。市内からいうと一条通りを西にまっすぐ、紙屋川を渡ったすぐのところです。一条通りは平安京の北の通りで、ここまでが市中ということになるかと思うんです。それに紙屋川はお土居を造るときの崖っぷち、お土居の外側に紙屋川が流れています。つまり、位置としては、北の通りの西の出口を越えたところに位置するお地蔵さん、ということと解釈しています。

 この一条通りですが、今の堀川、晴明神社があるところに戻橋、一条の戻り橋、この通りです。話は戻して一条の西にある地蔵院、其処に至る商店街には妖怪がいます。それよりも日本画の先生方が、この界隈を拠点にして画塾を開いていたり、絵画芸術の拠点としても位置していた、と言えます。アーチスト、芸術家ってゆう奴は、市中じゃなくて辺鄙な処に棲まわされたのかな。市中は金が中心の権力構造だし、芸術家ってのはその構造と隣接しながら棲んでいたんでしょうかね。小説に出てくる大田多恵という女子は、この界隈に育ったイメージで、絵描きじゃなくて陶芸家の道にはいった、とイメージしています。

 地蔵院がある一条通りは、そのまま道なりに西へいくと、妙心寺の北門から仁和寺の山門に至ります。この道、現在は高雄から美山へ抜け、日本海に抜ける街道です。地蔵院の市中の方へ戻しますと、北野の天満宮の参道で下之森、大将軍商店街になって地蔵院に至る。先にも触れていますが、一条商店街は大将軍商店街、この界隈に妖怪が棲んでいたんですね。北野白梅町はこの西大路一条のすぐ北に位置します。北野廃寺跡と書かれた標柱が北東角に建てられていますが、太秦の広隆寺が元建立されていた場所のようです。その昔の権力争いが、垣間見えるところですが、ここではそのことには触れません。

-2-
 あんまりこういうマトリクス的なイメージは使いたくないのですが、何となく曼荼羅に似てる気がして、初めて使わせてもらいます。釘抜地蔵尊、俗称釘抜さんと呼んでいる京都西陣にあるお寺です。願掛けてご利益があるとこの札を奉納する、お礼の札です。なにやら、庶民の感情がこもったお礼返しだと感じています。この釘抜地蔵尊は京都の千本上立売を上がった東側にあります。弘法大師が開祖だそうで、信仰を集めています。庶民信仰というヒトの心にまつわる出来事ですが、ぼくには、この歳になって分かってきたこともあって、なかなか人生、生きてるそれぞれの段階で、思うことが変化してくるもんだ、と思うのです。結論が出せるわけではないけれど、すがる、たのむ、神さま仏さまにお願いする、そんな心境がわかります。

 せっぱ詰まったレベルではないから、願掛けはしませんが、ここへ来ると願掛けしている方を見うけます。竹の棒を握って、お堂のまわりをまわる。一回まわって一本返す。お堂の前ではその都度拝みます。この科学万能の時代に、願を掛ける気持ちって、いまはわかる。わかります。ヒトのために願を掛ける。自分の為じゃなくてヒトのためです。家族が病気になっているので願掛けする。最近なら自分の為ということもあると思うけど、昔は自分の為なんて願掛けの向き先はなかったと思うんです。近代の自我以後、自分の為、という向き方が出てきたんではないか。ぼくなんか典型的に自己主義だから、自分の為に願掛けするんでしょうな。

 葉月という題の小説を書こうとしているんですが、なかなかその気になれなくて、ついつい先延ばしにしている感じです。ライブドアのブログからシーサーに変えたのは、アクセス数がこちらの方が圧倒的に多いからです。ブログの扱いやすさからいえばライブドアかと思いますが、一般のブログ、体験的にアクセスが極端に少ない。どういうわけかしらないけれど、そういうことなのです。開き直ってみれば、書けないなら書かなくてもいいじゃない、ということだと思うのですが、律儀なぼくは、そういわれても、書いておかなくちゃ、と思っているわけで、読めるような展開じゃないと思うけど、ということは読者を獲得できないんじゃないか、とは思うけど、切羽詰まっていて、願掛けしても仕方ないけど、祈る気持ちなのです。ハアイ。

-3- 2018.9.2
昨日、フォトクラブ京都を創立させました。
自分が主体となって進めていく枠組みのひとつです。
ちょうど2年前、古希を迎えて、団体から身を引き、肩書を外しました。
名刺には、住所名前とスマホの電話とメールアドレスだけを刷りこみました。
新しい枠組みで、構想してきたことを、再始動させようと考えていたのです。
特別に写真の枠組みにこだわっているわけではないけど、写真がわかりやすい。
写真のことなら、かなり細部まで、かなり全体像が、分かると思っているからです。

迷い迷いながらですが、写真倶楽部を組織しようと思ったのは最近です。
関西、特に京都を中心に活動してきたフォトハウス構想と農塾構想でした。
フリースクールを試みた2001年ごろの企画原案にあった<カフェ&プレス>。
この名称を使って、この4月から天野さんの好意により「場」が持てました。
新しいタイプの若い写真家との出会い、ベジラボの伊藤氏のバックアップ。
なにより場を提供していただけたアマノコーヒーロースターズの天野さん。
旧友の写真家堀内氏との二人三脚で、ここまでやれてきたと感謝の至りです。
ほんとうに善意の集まりだと思っています、感謝です。

-4-
台風が来るというので、そのつもりでやって来るのを待っていました。
お天気情報とおり、昼過ぎからやってきて、凄い勢いで雨風、そうして去っていきました。
子供の頃、台風が来るというので、父が窓に板を打ち付けていた光景を思い起こします。
風が吹いて、雨が降って、家が倒れて、風塵が通ったのを思い出します。
小学校の一年のときでジェーン台風?でしょうか、その下敷きになった家がありました。
急遽、バラックのような家を造られて、そこに人が住んでいた。
ぼくが高校のときに、そのバラックのような家が空いて、そこに棲むようになりました。
独立した家屋だったから、高校生の時には友達がたくさん泊まりに来ていた。
俗にいう溜まり場だったわけで、いまもって同窓会で、そのときの話が出てきます。
けっこう不良だったわけで、完全不良にはならないまま、人生の不良になったのか。
大学生になっていたときには、デモに出てきた学友が泊まりに来ていた。
若い感性のふれあう場所であったように思う、冷める心を共有しあう家だったのかも。
所帯をもって子供が生まれて、家を新築する時まで、そのバラックの家がありました。
台風の通過を待ちながら、ぼんやり、そんなことを思い起こしていました。

-5-
書棚を眺めていて、取り出すこともなく、眺めている自分がいます。
これは読んだ本が並んでいるコーナー、文庫本ですね。
自分の、過去の自分がそこに投影されていて、現在の自分がここにある。
あらためて、写真に撮って、こうして羅列されたのを見ていると、何してたん?
それぞれの自分の時代背景が、これらの本を読んでいた光景と共に現れます。
本を読み漁ったのは15年ほど前までで、その後は書く方に転じています。
膨大に書いてきて、それらの文章をブログに再録しています。
中川繁夫写文集

沢山の本を読んで、それで一体、自分に何が起こっていたんだろう、と追憶してみます。
結局、それほど自分が成熟したわけでもなく、ただの年寄りになっただけだろう。
権威とか肩書とか過去の実績とか、自分を囲む世間の価値を?ぎとったら、何が残る?
食べることとエロスを見ること、エロスを描くこと、そうしてこんな雑文を書いてる。
それにしても変な並び方してる文庫本たち、統一性がなくて、流行りばかり追ってる。
いやはや、いまさら文化人なんて思ってないけど、出番が欲しい、とは思う。
心の灯、ラジオの番組で、昔からありますね、心、癒されます、今朝の外は雨です。

-6-
いましがた樹木希林さんがお亡くなりになったとの速報がスマホに入ってきました。
訃報といえば先ほど、中川祐二さんが8月初めにお亡くなりになっていたと聞いたばかりです。
他人ごととは思えない、自分もそういうことが起こる年代になっているのだ。
最近、自分のことでいえば、こうした文章を書いたり、写真を撮ったり、いつまでできる?。
このことが気になっているところです。
10年前の文章を「むくむく叢書」ということで再録しているところですが。
まだ、いまより体力があり、気力があったと思えます。
自分で諦めたらいけないけれど、どこまでできるのか、と気になるところです。

現代表現研究所をバーチャルで立ち上げたところです。
フォトハウス表現塾、これは学のシステムで学校、現在は写真の学校です。
カフェ&プレス、これはひとが集まり発信する場、天野さんの好意により実現しました。
フォトクラブ京都、これはわかりやすい、写真倶楽部です。
現代表現研究所のコンセプトは、現代を表現する、このことなのです。
まだうずうず、渦巻いている雲の状態で、まだ言葉になっていない現在です。
見えやすくする、イメージできるようにする、これが現代を表現する目的です。
まだ、始まったばかりの研究、塾、倶楽部です。

写真は先日赴いた太秦の、天塚古墳の石室の入り口です。
嵯峨野慕情という文章を今年初めに試みたけど、それの延長線上です。
一昨年から文字さんにみちびかれて奈良の古跡を訪ねさせてもらっています。
それの流れで、京都の古墳時代、平安京が造営される前、そのあたりです。
平安京造営が794年からというから、そこに至る京都の歴史です。
古代史なんてやってこなかったから、これからの勉強課題です。
ゆるやかに、そういう目標を持っている方が、すすめやすいと思うのです。
60の手習いで陶芸だったから、70の手習いは古代史を想う、ということか。
現代表現研究所HP フォトハウス表現塾









HOME

最新更新日 2018.11.20

ツイート


HOME



文章・小説HOME


さくら協奏曲表紙


文章・評論表紙

或る物語

嵯峨野に想う/雑記帳

雑記