夏越の頃-1-

 1〜7 2022.6.10〜2022.6.22

 

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陶芸家尾上美和子(35)の初個展が開催されたのは小泉ギャラリーの二階です。美和子が陶芸家と名乗るのは今回の作品展示が初めてです。小泉ギャラリーのオーナー、小泉信一郎が新聞記事にしてもらうため、美和子を新進の陶芸家、ともちあげたのです。美和子本人は、それほどの経験もないから、気恥ずかしい気持ちですが、陶芸家として立っていこうと思っているから、表向き嬉しいかぎりです。
「尾上さん、個展、おめでとうございます」
「ありがとうございます、はい、ありがとうございます」
個展開催初日には、地元の新聞に美和子の写真入り、囲み記事が掲載されたのは、小泉ギャラリーの知名度とオーナー小泉信一郎の知名度が重なっているからです。
「デビュー、おめでとう、ジャンルは違うが、お父さんに負けない、陶芸作品だね」
「はい、まだまだ新米です、そうおっしゃっていただけて、光栄です」
小泉ギャラリーは、茶道の裏千家と表千家の家元が所在する寺の内小川に店舗があります。茶道の家元に近い立地だから、扱う商品としての陶器も、高級品扱いされるように配慮します。別に日本画を扱う小泉画廊が、三条寺町にあります。美和子の父が日本画家、その系譜を継ぐ兄が日本画家、美和子は絵描きにはならず、陶芸の道にはいったのです。
「芸術家の家系だから、美和ちゃん、売れるよ、がんばろね」
「ありがとうございます、先生のおかげです、はい、がんばります」
美和子は、還暦を迎えられる小泉信一郎のことを先生と呼んでいます。美和子に茶道のたしなみがあるのかといえば、それほど深くはありません。むしろ洋風好みの女子です。その美和子が大学を出てから陶芸の専門学校へはいって、卒業し、京焼の窯元へ見習いにはいったのが二十五、そこで修行して、三十を越えたころになってきて、陶房を構えたいと思うようになりました。芸術家の家系だから大金持ちではないけれど、父尾上玄信の名義ですが、哲学の道に近い山ぎわに、陶房を持ったのが三十二のときです。それから三年、自分なりの作風、色合いをだした陶器で、小泉ギャラリー専属の陶芸作家として、デビューしたところです。

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ギャラリーの会場は社交の場です。美和子が個展の開催期間中は、いつも午後からギャラリーにいるというので、好色の顧客たちは、まだ若い美和子の顔を拝ませてもらおうと、時間をあわせてきます。陶芸作品を売るのがギャラリーの狙いですがら、笑顔で応対する美和子は、いつも笑顔でいることを意識します。初日は和服、もえぎ色の着物で応対しています。会場の壁面には、兄尾上玄一の50号作品が飾られ、父尾上玄信の作品は小品です。陶芸学校からの友だちが来たときにはリラックスですが、ギャラリー関係者や父や兄の関係者には気を使います。
「日本画家尾上先生の娘さんだ、芸術家一家だ、陶器にも気品があるね」
「ありがとうございます、先生のうれしいお言葉、ありがとうございます」
初老の会社社長さんが、作品をお買い上げになられて、売却済みの印がつけられます。ギャラリーの雑務は学芸員資格をもっている店員の女子がしてくれます。美和子は、作家として、客人との応対です。
「はい、窯は哲学の道の近くです、尾上陶房と名乗っています」
「そうなの、いい処に窯をかまえているんだ、いいねぇ」
「ぜひ、いらっしゃってください、そのときは、アポ、おねがいしますね」
「なにかのご縁ですなぁ、美和子さんのフアンになりますよ」
「はい、土窯ではありません、陶房にあるのは電気窯です、はい」
初老のフアンとの応対がおわって、一息つくまもなく東京にある出版社の雑誌記者が取材にきてくれました。とはいっても取材者は在阪の契約ライターからのインタビューです。辰野裕子さんといって、美和子より若い女性です。
「日本画家のお父様、お兄様、美和子様は、どうして陶芸の道を選ばれたのですか」
「からだを使って、自然と戯れたいと思って、お百姓とか、したいんですけど」
「そうですか、自然派ですか、お母様はバイオリニスト、尾上久子様、紹介させていただきます」
「はい、辰野さん、よろしくお願いします」
「陶房のお写真を、撮らせてほしいんですが、あらためて、取材させていただいて、いいですか」
「はい、陶房のほうですね、ご連絡、ください、お待ちしております、辰野さん」
名刺を交換した相手、辰野裕子は、大学は美学科を卒業、美術史を学んできたのだといいます。美和子は文学部で、日本の古典文学を学んだところでした。知識が交差するところもあり、辰野裕子は美和子のフアンになるというのです。
「ほんとうは、美術館で学芸員したいんですけど、狭き門です」
裕子はまもなく三十路にはいる年頃、フリーライターの肩書で、美術雑誌の取材を請け負っているというのです。名刺には<辰野裕子オフィス>と記されています。

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文学青年向井浩一(28)が尾上美和子の個展が開催されていると知ったのは、新聞記事を読んだからです。面識はありません、噂で知っていたというわけでもないのに、なぜか新聞記事を読んで、お顔の写真をみて、親しみを感じたのです。
<よし、見にいってみよう>
初対面の人には、人見知り激しい向井浩一ですが、棲んでいるワンルームからは歩いて五分ほど。小泉ギャラリーへと赴きます。もう桜の季節が終わった京都です。寺院の桜は青葉です。欅の梢は新緑です。青空のもと、淡い緑が映えます。大通りから東にはいって南側、小泉ギャラリーがある店の前へ来た浩一です。ジーンズに紺のシャツ姿で、みたところちょっとひねた学生な感じで、髭はきれいに剃ってきています。茶器を扱う店舗になっているガラス枠のの戸を引き、会釈して、そのまま二階へあがります。ドキドキ、浩一は勇気をだして、陶器の個展会場にはいったのです。ギャラリーには誰もいなくて、かすかにバックミュージックが緊張を解きほぐします。
<あ、モーツアルト、さわやかやなぁ>
北に面した大きな透明ガラスの窓からは、むこうの寺院の屋根がみえ、手前の梢に新緑が眩しいぐらいです。
「いらっしゃいませ」
女性の声に浩一が、ドキドキ感を高ぶらせます。仕切りのむこうから姿をあらわしたのは作者の尾上美和子です。美女の出現に、浩一が戸惑います。
「ぼく、新聞見て、来たんです、見せてもらって、いいですか」
「あ、ありがとうございます、ごゆっくり」
テーブルの上に並べられた陶器。壁にかけられた淡い花の日本画、モーツアルトのピアノ曲が流れているとはいっても静かなギャラリーの空間です。
「ありがとうございます、作者の方ですね、新聞で見ました」
「尾上美和子です、陶器にご興味ですか」
立ったまま向きあって、美しい、浩一は美和子の顔をみて、おだやかな観音さまのお顔のような微笑に、魅了されてしまいます。
「信楽焼とか清水焼とか、くわしい区別もわからない素人です」
「そうなの、わたしは、尾上焼、尾上陶房、やっています」
美和子の服装、個展開催初日は和服でしたが、数日たっているのでラフな服装、生成りのゆるいシャツにロングのスカートです。ショートカットな髪の毛です。浩一は、くすんと首をちじめて挨拶し、次の言葉を探します。清楚な美女を前にして、次の言葉が紡げません。浩一が人見知りだというのは、こういうことで、対面した相手と、話しを交わしていくというのが苦手です。

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小泉ギャラリーの二階には、浩一と美和子だけです。
「お名前、よかったら、芳名帳にお書きいただければ、うれしいです」
美和子には、来客の素性も名前もわからないから、聞き出そうとします。見たからに美男子にみえますが、うつっぽい表情が美和子のこころをとらえます。
「そうですか、向井さん、浩一さん、何してらっしゃるの」
「いいえ、まあ、素浪人っちゅうか、無職、アルバイター、ちょっと小説を、ね」
「小説を書いていらっしゃるの、興味あるなぁ、わたし、文学、好きなのよ」
「女子大文学部で古典文学を学んだと、紹介されていますよね」
新聞記事の略歴紹介で、そういうことが書かれていたので、浩一が応えます。
「そうね、陶芸教室やってるから、よかったら来てくれたら、教えてあげる」
「はい、ちょっと体を使って、陶芸とかやってみたかったんです」
「尾上陶房ってゆうの、哲学の道の幸せ地蔵さん、そこから山の方よ、来てみて」
美和子が、文学やってる、小説家になろうと思っている、という浩一を陶芸教室に誘ったのは、素朴な青年に見えたからです。
「まだまだ、初個展だし、これで生計を立てるなんて、まだまだよ」
「ぼくも、小説書いてるけど、ネットで公開してるけど、生活費はバイトです」
来客がなくて、個展会場、美和子と浩一のふたりだけ、はなしが生活のところにまで、おりてきます。初対面で、美和子には生徒がほしいし、浩一には美女さんと知り合いになりたい、欲望というほどには熟していないけど、お互いがお互いを必要としています。
「バイトって?、なにのバイト?」
「塾の講師のバイト、進学塾だけど、週二日です」
「そうなの、学歴、向井くん、大学は何処なのよ、京大?、東大?」
「京大だけど、さぼってばかりで、六年かかったのよ、それでも卒後しましたけど」
喋り出すと、いろいろ、自分の話しを展開していく浩一に、美和子は異性だから妬みもなくて、むしろ愛着を感じだします。美和子は、高校も大学も女子ばかりだったから、男子には夢のような憧れがあります。三十路半ばまできているのに、縁がなかったわけではないのに、ひとりです。
「どうしてだか、文学研究より小説を書きたくて、なんでかなぁ、わからないんです」
「そうね、わたし、どうして陶芸なんかなぁ、音楽家にはなれないって、高校の時わかったから」
「そうなんですか、音楽家さん、音大にはいかなかったんですか」
「母が音楽家、父も兄も絵描きです、だからといって絵描きにはなりたくなかったのよ、それで」
「それで、陶芸ですか」
「わたし、ナチュラル派、ネーチャー、自然派の系だと思うのよ」
個展会場に年配の男性がきて、その方への対応をしだしたので、浩一は、会場から引き上げることにします。一時間以上、このギャラリーにいたことになります。

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朝から、目覚めの珈琲を淹れる美和子。個展がおわって、なにはともあれ、やれやれの気持ちです。辰野裕子からアポがはいっていて、午前中に陶房で写真を撮りに来ます。十一時が予約時間で、およそ一時間の応対です。尾上陶房の二階が、美和子の居住スペースです。旧家の二階をワンルームに改造した広いスペースです。四部屋分、上部には十字の梁、真ん中に柱があり田の字型、襖を入れればフローリング三部屋と畳一部屋です。窓辺にキッチン、そのまえに六人が座れる木のテーブルです。もう一方の窓がある部屋を寝室にしていて、セミダブルのベッドです。一部屋がお勉強スペース、畳の部屋は使用していません。取材は一階の陶房スペースで受けます。二階はプライベートです。
「こちらに目線いただけますか」
辰野裕子が、作業台の前に立った美和子にカメラを向けます。二人の距離は1m、そこから裕子が後ろに引いて、アップから全身までをカメラに収めていきます。
「尾上先生、美しいですね、少し逆光ですが、いいですね」
「はい、辰野さん、上品なカメラマンさん、ね」
作業台の前に立った美和子を収めたあと、庭でガーデニングしている美和子を収められます。美和子がはいる写真はこの二カットで、あとは制作中のモノとか、出来上がったモノとか、写真に収められて、撮影終わり、あとはインタビューです。
「創作陶芸って、あんがい穴場だとおもって、いるんです」
「というと、尾上さんは、独自の色合いを追求される派、といえばいいんでしょうか」
「土とか、釉薬とか、自由に使って、でも、わたしが創るのは、主に、食器ですけど」
「白い象牙のような光沢で、和食器というより洋風イメージですね」
「陶磁器というか、昔の昔、すごい光沢の陶磁器があるんですが、それ、目標なの」
辰野裕子のインタビューで、美和子は夢のような話を紡ぎだします。自分が創り出した器が、どのように評価されるかは、他者の目です。
「ほれ、光の当たり方で、見た目の感じが違うでしょ、わたしは昼間の自然光が好きなのよ」
「自然派なんですね、お百姓もされるんでしょ、尾上先生」
「お花というより、お野菜ですね、実利的でしょ」
辰野裕子は、生き方としての自然派に共感しているところがあります。美術史を研究してきて、頭脳プレーばかりしてきたことに、からだを交わらせたいとも思いだしています。そのことでいえば、尾上美和子の生き方に共感するのです。

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向井浩一から美和子とのLINEへ、陶房を訪問するとのアポがはいってきて、陶芸教室の日時を調整します。月曜日と木曜日の午後が教室の日なので、美和子が案内すると浩一は木曜日の午後に訪問するとの返信でした。その日は朝から、美和子のこころが少しざわついています。初めての浩一を、陶芸初心者を、迎え入れる準備をします。
「いらっしゃい、どうぞこちらへ、入っていらっしゃい、わたしの陶房よ」
玄関から土間で三畳のエントランス、右横に引き違い戸があります。そこが陶房への入り口で、左側が作業スペースになります。
「来ちゃいました、はい、いいですね、おじゃまします」
入り口から陶房へ足を踏み入れた浩一が、まわりを見わたしながら、声がうわずっています。八畳間ふたつの土間、六畳二つのうち一つは物置、内側の一つは一段高くて畳の部屋になります。
「さっそくだけど、はい、ここに座って、待っててね」
畳一枚分の作業台、そこに向いた回転する背凭れのない椅子に浩一が座らされます。土間と外との区切りは木枠のガラス戸四面です。草が生い茂る明るい庭が見えます。電動のロクロが壁面に置かれていて、その横には電気窯が置かれています。浩一は、座った椅子を回転させ、庭を見て、物置に目をやり、畳の間をみて、作業台に目線を戻します。美和子が、手の平にのせた土の塊を作業台におきます。
「これが一回分の土、もう粘土になっているから、揉むのよ、それから基礎を教えます」
浩一は座ったまま、美和子はその左横に立ったまま、横並びです。美和子の目線は庭に、浩一の目線は入り口に向きます。
「立って、土を両手で揉むの、横でわたしが見本を見せるから、真似して」
美和子が手際よく、土を伸ばして丸めて、を何度か繰り返します。それを観ている浩一が、手の平のつけねで土を伸ばし、丸めます。ぎこちない、冷たい土が手になじみます。それから手の平でぐいぐい菊の花びら状にひろげます。美和子は慣れた手つきですが、浩一にはこれができません。力をいれる要領がつかめません。
「最初は、ね、できないわよ、それでいいのよ、慣れよ、慣れるしかないのよ」
「はい、そうですね、慣れるしかないんですよね」
揉んだ土の塊をピンポン玉ほどのおおきさにちぎって、丸めて、伸ばしながら紐にしていきます。美和子が見本を示して、浩一が真似をします。不器用な浩一は、恥ずかしいばかりで、美和子の見本作りを真似ます。紐状にはなりますが、太さが均一になりません。その紐を円形にして重ねて積み上げ、器にしていくのです。

-7-
美和子が尾上陶房の庭に植えたミニトマトが、赤い実になりだしました。鑑賞の花が咲く植物もいいけれど、食用になる植物を育てるのも、いいもんだと美和子は思います。育てた苗が食べられるようになると、気持ちに満足感がえられます。陶房の裏庭は、そんなに広くはない庭ですが、野菜を育てるといっても、陶器作りの合間に、一人作業で気持ちをほぐす程度です。
<向井くん、きょうも来るかしら>
完熟したミニトマトを小さなザルに収穫しながら、それでも20粒が収穫、美和子の脳裏には、年下で優しげな男子、小説家を目指しているという哲学者の姿が浮かんでいます。浩一が陶芸教室へ来るようになってもう三回をすぎています。土を捏ねるのにも少し慣れてきたようにも見えます。
「ええ、もう、要領、わかるでしょ、好きになさったらいいですよ」
「はい、だいたいわかってきたから、自分で準備します」
細身で優しそうな表情の浩一をみとめて、美和子は男子を感じます。男らしいといわれる体格ではないけれど、ちょっと内気でデリケートな感性のように思える美和子です。浩一が棚から道具を持ってきて、準備しているのを観察している美和子。先生と生徒だから、余分な感情を交えてはいけませんが、なにかしら相性があうように思えるのです。
「尾上さんは、ピアノを弾かれるんですか、陶芸って指を使うのに」
「そうね、ピアニストといえるほどでもないから、いいのよ、土を捏ねるので」
「ぼくは、パソコンで文章を打つんですけど、運動不足です、だから」
「だから、どうしました、陶芸して、からだ使って、いい運動になるでしょ」
「野菜作りもいいなぁ、尾上さんみていて、楽しそうだから、ぼく、興味ありますよ」
ザルに採取されたミニトマトが、庭の水洗い場に置かれています。作業台の前にいる浩一から数メートル向こうに、赤いミニトマトのザルが見えます。
「食べさせてあげるわよ、向井くん、ここで採れたミニトマトよ」
「はい、ありがとうございます、これ、おわってから、ですね」
美和子が、捏ねた土を紐にしている浩一に話しかけます。
「手を洗って、ミニトマトは無農薬だから、安心よ」
「へぇええ、無農薬ですか、農薬使わないんですか」
「肥料だって、有機肥料よ、化学肥料は使わない」
うすくしっとり濡れた唇を、浩一のほうに向けて話す美和子。ナチュラルで麗しい美和子に、魅了されている浩一。モンペ風生成りのズボンで足首まで隠した美和子は、素足に草履です。脚の爪にはマニュキュアをしていません。もちろん手指の爪にもしていません。白い木綿のシャツは、前ボタンでノースリーブの美和子です。陶芸にしろ野菜作りにしろ、作業しやすいようにと髪の毛はショートカットです。














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最新更新日 2022.7.3


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