立夏の頃-3-

 17〜21 2022.6.1〜2022.6.5

 

-17-
しょうちゃん率いる新聞部が主催して、生徒会に働きかけ、同好会扱いで「歌声の会」を発足させます。会場は校舎と校舎のあいだにある中庭です。お昼休みの時間、12時半から12時50分までの20分間、ぼくに指揮してほしいとしやうちゃんがいいます。久我さんはピアノが弾けるけれど、中庭へは運び出せないので、伴奏は足踏み式のオルガンを使います。新聞部の部員だけでも8人いるから、集合してもらってサクラになってもらって、しょうちゃんは音痴だけど大きな声を出す役、ぼくは指揮、久我さんは伴奏、という役割です。
「でわ、はじめます、毎週、火曜日、この時間、歌声の会、しますから、よろしく」
しょうちゃんがマイクもメガホンもなくて地声で、挨拶します。合唱部の女子生徒が10人ほど、興味をもった男子や女子が集まってきて、総勢20名ほどが、半円形にならんで、カチューシャとか走れトロイカとか泉に水汲みにきてとか、歌詞はガリ刷り、手の平サイズの紙に印刷したのを配っています。ふがふがふがふが、オルガンの音、久我さんが和音つきで、メロディーを奏で弾きます。全校1000人ほどの生徒数から20名だから歌うのが好きな生徒ばかりです。ぼくの指揮、コーラス、なかなか気持ちが入ってきて、嬉しくなってきて、ひと前に背中を見せて立っているぼくは、コーラスする生徒たちにむかって自慢顔です。

好きなひとのことを想う時間が、朝目が覚めてから夜寝つくまで、ほぼ続きます。ご飯食べていても、電車に乗っていても、バイクで走っていても、教室で黒板を見ているときも、いつ時も千津子の顔が脳裏に浮かんでいます。その顔は、霧のなかに、靄がかかった向こうに、ぼんやりとしているのが普通ですが、ときたま、パッと明確に表情までもがみえるときがあります。どうしてなのか、そういうときは、情がぎゅっと搾りこまれて悲哀の涙がこぼれおちます。なのに、コーラスの指揮しているとき、オルガンを鳴らしている久我さんを見ているとき、どうしたわけか千津子の顔が消え失せているのです。こころも穏やかに平坦です。
「ねえ、ねえ、大木くん、オルガンって、キーを押しているあいだ音が出てるのね」
「風で鳴らすからやろ」
「ピアノと違って、感くるうわ、かったるいってゆうのかしら」
「なんか、小学校の音楽、思い出すなぁ、久我さん、せんせしたら?」
「ううん、わたし、演劇の学校へ入学したい、東京の世田谷よ」
久我さんは、もう将来の自分が決まっているというように、しゃべってくれます。溌剌としておられて、言葉もハッキリ、手振り身振りも、いつの間にかおお振りになっているように思います。ぼくは、京大へいく、文学部へいく、美学ってやってみたいな、千津子に、このことを言ったら、がんばってね、と励ましてくれて、わたしもがんばるから、と返してくれました。久我さんにも、同じようなフレーズを喋ったら、大木くんならいけると思う、成績は学年で10番くらいまででないと合格しないけど、とぼくは成績はそんなに上位ではないけど、がんばるしかない、と思っているのです。

-18-
土曜日は夕方からお寿司の出前アルバイトにいきます。ぼくと同い年の田宮くんが住み込みの店員で働いています。田宮くんは新米で出前専門要員です。女将さんが手際よく出前の順番を手分けしてくれて、ぼくにはけっこう遠くの方からの注文を出前するようにされます。行先は、大きなお屋敷が多い地域で、そこからの注文が多いのです。立派な門構え、勝手口があって、そこの呼び出しボタンを押して、なかへいれてもらって、台所のところまで運ぶのです。学生服を着ているぼくに、受け取っていただく女性が、気軽に声をかけてきてくれます。なかにはお駄賃よ、といってチップをくださるお家もあります。久我さんの家も立派ですが、出前するお家はみんな立派な門構えで、お金持ちなんだと思います。
「大木さん、行こか、おんな探しに、マリヤがいいな」
もう午後8時も過ぎて、出前の仕事が終わって上がるとき、田宮くんがぼくを誘います。ぼくは淋しさ紛らわせに一緒にいきます。ぼくは生真面目だからナンパできません。田宮くんが女子二人を相手に、うまく声をかけながら、馴染ませながら、ひとつのテーブルに四人が座って、いろいろエロい話も交えて、うまいぐあいに女子の興味にあわせて話題をつくっていきます。
「あした、日曜日、夕方まで空いてるから、ここで逢おうか」
田宮くんが、いま同席している女子に、明日も会おうと持ちかけます。夕方までの限定だから、女子も安心するのか、それとも夜深くまでつきあう気持ちがあるのか、会って分かれる関係です。女子たちは、織物会社の織子さんで、共同生活していて、男子とつきあうことを望んでいるんだ、とは田宮くんの話しです。十時を過ぎて、マリアを出て、ぼくと田宮くんとは別行動、といってぼくはフクロウへ行くことにしました。小枝子さんにお会いしたい気持ちでした。田宮くんはナンパした女子二人と、京極のなかの朝までやっているお店へ、いくのだというのです。

フクロウには、まだ赤い暖簾がかかっています。ガラス格子の引き戸をガラガラと引くと、カウンターの向こうに小枝子さんの顔がみえます。
「いらっしゃい、いやん、大木くん、どうしたの、こんな時間に」
ぼくは、恥ずかし気持ちで、小枝子さんをみています。顔、髪の毛は後ろで束ねています。黄色いセーターに割烹着、胸から上がみえます。
「ううん、ちょっと、来てみたかったんよ」
ぼくは、小枝子さんの顔を見て、とっても安心した気持ちになります。夜の繁華街はぼくの気持ちを嬉しくさせるどころか、淋し気に昼間以上に空しくなります。小枝子さんは、ぼくを暖かく迎え入れてくれます。
「もう、お店、終わりよ、まあ、お座り」
ぼくは、いわれるまま、カウンターの椅子のひとつに座ります。
「うん、でもね、きょうはだめよ、来ちゃだめなの、わかる」
ぼくが、なにを期待しているのか、小枝子さんは見抜いています。だめの理由はわかりません。このあと、紫竹荘へは来ないで、というので、ぼくは言葉にはならないけれど、落胆のきもちです。
「暖簾、入れて、鍵、かけて、お皿、洗って」
小枝子さんが、店じまいをぼくに指示され、ぼくは言葉に従い、カウンターの下からくぐってなかへはいります。お茶碗やお皿を洗ってあげます。小枝子さんと会話しながらですから、ぼくは癒されています。洗い物がおわって、小枝子さんはぼくを隅っこの椅子に座るようにいいます。
「おりこうさんね、大木くん、してほしいんでしょ、してあげる」
小枝子さんはしゃがみこみ、ぼくのズボンのまえをひろげ、下穿きといっしょに太腿にまでおろして、露出させてしまいます。恥ずかしいわけがなくて、うれしい気持ちです。ぎゅっとつきだすと、小枝子さんがにぎってくれて、剥いてくれて、なんどかこすったあと、先を剥きださせ、唇をつけてきて、口のなかに含んでもらいます。握ってもらった手が上下に動かされ、ぼくはぐぐっとこらえます。気持ちがせりあがってきて、小枝子さんの肩に手をおいて、ぼくは反り返り、全身に力がはいって、発射してしまいます。おわって、小枝子さんは口のなかの液をチリ紙にとって、まるめて、ぼくはたちあがり、下穿きとズボンを元に戻して、なにごともなかったかのように、小枝子さんとの秘密を共有するのです。そのあとには、朝までやっているオールナイトの映画館へはいって、眠狂四郎、大映の映画を観ることにしました。

-19-
月曜日の朝はゆううつです。学校は8時半から始まるので、それなりに朝早くに起きて、身支度をして、登校しなければなりません。そのころ、夜になると頭が冴えるのです。ついつい朝方まで、眠らないまま小説を読んだりして明け方に、眠りはじめるのです。目が覚めるのがお昼前になったりして、学校へ行かなければならない後悔の気持ちに見舞われます。家族とは別棟のバラックのような部屋に寝起きしていて、家族の干渉がないのです。でも、学校へ行かなければならないとの気持ちになっていて、バイクに乗って、午後からは別棟になっている食堂で待機していて、それから新聞部のボックスへいきます。もうまもなく三学期が終わります。学年末試験が控えているので、それを受けないと進級できないわけです。勉強してないから、赤点かも知れない、赤点だったら、追試験、ぼくは進級できると思っていますが、心のなかは虚しさでいっぱいです。
「反帝反スタって、どういうことなんか、わからへん」
ぼくが質問すると、しょうちゃんが答えてくれます。
「反帝国主義、反スターリン、ってことなんよ」
「歌うたってたら、反帝反スタになるんですか、そうなんですか」
「そうなんよ、帝国主義ってアメリカ、スターリンってソ連、どっちにも反対なんよ」
この理論は、しょうちゃんが傾斜している同盟の主張とはちがいます。同盟の主張は、安保反対、日米安保反対、です。ぼくには、まだよくわかっていません。

しょうちゃんがデモに行こうといいます。金曜日の夕方から、円山公園の音楽堂で集会があって、そこから市役所前までデモ行進があるんだ、というのです。学生服ではまずいから私服で参加しようとの提案です。久我さんも参加します。ほかにも三名の女子が参加します。新聞部員から六名が参加するのです。人数を主催者に報告しておかないといけないといって、しょうちゃんが事務所の前の赤電話で、連絡するのをぼくが立ち会っています。どんなことになるのか、ぼくは初めての経験です。しょうちゃんは、高校生グループは初めてらしい、ぼくら先駆者なんや、と誇らしげにいいます。当日、学校がおわって、嵐電で四条大宮までいって、そこからバスで祇園までいきます。丸山公園音楽堂までいくと、もうたくさんの人が集まっていて、のぼりの旗やプラカードを持っている人が、鉢巻きをしているではありませんか。騒然としてきて、シュプレヒコール、気持ちが浮き立ってきます。隊列は、横に四人、前の方のグループは横断幕を持って、その後ろにはスクラムを組んで、その後ろはもう、バラバラです。ぼくらはそのバラバラのなかにいます。アンポハンタイとのマイクの叫びに、アンポハンタイと返します。整然としたデモ隊です。制服の警察官が、交通整理しています。車道から歩道をみると、足を止め、デモ隊の方に向いているひとがいるかと思えば、無視して歩いているひともいます。夜の繁華街をデモ隊がいく、市役所前まできて、整列して、主催者の代表が、ごくろうさまでした、と言って解散になりました。

-20-
学年末の試験は、点数がわるかったけれど、一学期と二学期との合計割る3だから、追試験なしに進級が決まりました。朝に起きられなくて、登校できないというのは、心の負担が大きいです。こんな状態を虚無と頽廃というんやろなぁ、と思いだしていました。しょうちゃんは社会が悪いというけれど、そうなんかなぁ、とぼくは思うし、貧富の差が問題なのよね、というけれど、しょうちゃんとか久我さんの豊かさを見ていると羨ましいと思うけれど、それはしやないとぼくは思っていました。
「アルバイトなんかしてたら、大学いかれへんよ」
まわりから、そういわれても、アルバイトしないと、お小遣いがありませんから、アルバイトするわけですが、新聞配達はきつそうだし、入学前に製パン工場へ行ったこともありましたけれど、労働者になる気持ちはありませんから、工場で働くことには耐えられませんでした。
「高校は普通科へ行って、大学までいきなさい、大木くんなら京大へいけるから」
中学の先生から、面談でそういわれました。それで工業高校進学希望から総合選抜の普通科へ行くことになったのでした。進学校の普通科に合格して、大学に進学するためのカリキュラムに、ぼくは組み込まれたのでした。原因不明ですが、どうも体内時計は一日25時間か26時間で動いているみたいで、少しづつズレてきて、昼夜逆転してしまって、落ちこぼれていくのでした。学校へ行かなくなったといっても、だれもふり向いてくれません。繁華街を徘徊したからといっても、だれも気にしてくれません。義務教育は終えているわけだし、田宮くんのように田舎から町へでてきて働きだしたように、働こうと思えばいつでも働けるのですが、そうはいかなくて、大学進学、あくまで大学進学を優先しなければなりません。お寿司屋のアルバイトに行くようになったのは、中学生の時の女子友だちのお父様が板前をされているということで、アルバイト募集の張り紙を見て応募したところ、土曜日半日と日曜日全日、出前配達に就いてほしいといわれたのです。

春休みにはいっておりました。新聞部の活動は、週に一回、木曜日の午後に集まって、勉強会を行います。しょうちゃんが三年生になり、久我さんも三年生です。ぼくは二年生になります。アルバイトしたお金で、学習参考書を買いに出かけます。木曜日の勉強会が終わったあと、久我さんが三条河原町にある大きな書店へ連れていってくれるのが目的です。
「音楽の楽譜と演劇の本を買うので、大木くんの参考書選びは、そのあとよ」
「いいですよ、久我さん、きれいですね、すてきですね」
「なにゆってるん、大木くん、そんこといわなくても、わたし美人なんだから、ね」
「あのぉ、珈琲のお店が、あるというので、行ってみたいです」
「ああ、六曜社ね、行ってみましょう、最後に、ね」
久我さんは楽器店でショパンのポロネーズの譜面を買われました。それから演劇書が手に入る本屋さんで、テアトロという雑誌を買われて、大学受験のための学習参考書が並んでいる本屋さんへいって、主要五科目の受験生に定評の参考書を買います。久我さんは、すでに一年前に買っていて、それにぼくが追随しているというわけです。
「珈琲、濃い味ですね、この喫茶店、大学生でしょ、いいなぁ」
「ここは音楽無しよ、相席よ、活動家のアジトなんですって」
「活動家って、久我さんも活動家?」
「そうね、わたし、東京へ行くから、ね、演劇やるから、ね」
「ぼくも、行きたいな、京大やなくて、早稲田とか、行けたらいいなぁ」
夢ではなくて、現実のものにしていかないといけない、久我さんは一年先、ぼくは二年先です。久我さんといると、ぼくは満たされる気持ちです。千津子の姿が、春のかけらとともに、ぼくの心から少し遠ざかった気がします。

-21-
新学年になって、桜の季節が終わるころ、野球部のための応援団が発足し、ブラスバンドがないので、作れないかとの話が持ちかけられました。楽器を揃えるにはお金がいります。生徒から集めようとの話になって、臨時の生徒総会を開いて、生徒会費に上乗せ、月に10円、1年120円を出してもらうという案を議題にして、全校生徒が運動場に集まって、生徒会長とぼくとが演壇にのぼって、趣旨を説明、質問を受け付け、挙手にて賛否を問うと、大多数が賛成の意を示してくれて、ブラスバンド創部が始まりました。部員は、中学校でブラスバンドを経験していた生徒、新しく楽器を手にする生徒、あわせて15人が集まり、ぼくが初代の部長、大学を出てきた新任の先生が顧問、いよいよ夏の甲子園予選の応援を、新設の応援団とブラスバンドで盛り上げるという目的が現実になってきます。
「高校でも、吹奏楽部に入れて、よかったです」
ぼくの出身中学の後輩にあたる新入生が、ほかの中学からの新入生が、さっそく練習に励みだし、ぼくが指揮をすることになりました。受験勉強に精出そうとしていて、がんばり始めた矢先の創部で、勉強よりもブラスバンドの成熟に時間を割いていました。新聞部の部長は辞退して、身も心も一新して、心は健康になっていたと思います。
「大木くん、応援してる、がんばって」
三年生になられた久我さんが、声をかけてくれます。アルバイトは日曜日だけにしてもらって、土曜日はブラスバンドの練習日にあてます。冬の日々の出来事は、ぼくのなかからは遠くなり、新しい目の前に熱中しはじめました。そのころです。一通の葉書が、ぼくの手許に届いたのです。千津子からの葉書です。

<前略、大木くん、元気ですか、わたし、元気です。いま、西成にいます。日雇いのおにいちゃんと一緒にいます。わたしは屋台の食堂で朝早くにお手伝いをしています。元気ですから、安心してください、ごめんなさい、ほんとうにごめんね、では、また、ね。千津子>
差出人の住所は書かれていなくて、見覚えのある字体で書かれた縦書きの文を読んで、ぼくは少し心が急降下して悲しくなり、頭のなかには記憶がよみがえります。半年前の千津子の母の死、登校しなくなった千津子の面影を追っていたこと、春休みがおわって新学期、クラス発表の名簿に千津子の名前が載っていなくて、だれにもなにもいわなかったけれど悲しかったこと。でも少し、ぼくの脳裏から遠のいていて、千津子を思わない時間の長さが多くなっていました。桜の花が咲くのにあわせて、ぼくの気持ちも明るく浮上してきたから、それはブラスバンドを引き受けたことで、緊張もしていたから、千津子からの葉書に書かれてあることを、深くは思いこんでいません。
「大木せんぱい、わたし、じぶんのサキソフォーン、使ってもいいでか」
中核時代にサックスを吹いていた女子が、クラリネットしかないので、中古で買ってもらったサキソフォーンを使いたいとの申し出です。
「もちろん、もちろん、サックス、吹いてくれたらいいよ」
ぼくは、まったく拒否なんてしません。よろこんで、持ち込み歓迎です。クラブボックスは体育館の倉庫、道具の置き場です。健司くんのその後はわかりません。新しい高校で、医学部を目指して勉強に励んでいるのだと思います。






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最新更新日 2022.6.5


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