立夏の頃-2-

 9〜16 2022.5.11.〜2022.5.31

 

-9-
千津子は、母親が病弱なので、父と弟の世話を、母親に代わってしてあげている、というのです。
「そうなのよ、おかあさん、うん、けんかばっかりしてけど」
小学校のおわりから、中学校のなかほどまで、まだ元気だった母親とけんかしたというのです。母親のしつけに子供が反抗する、といったことで、それでも親子、病にたおれたころからは、入院した母親のもとへ、看病しがてら面会に行っているのだと、いうのです。
「あそこのね、病院なの、結核病棟なの、うううん、週に二回ぐらい、会いにいくの」
鳴滝の駅から歩いていくという病院、ぼくも知っています。健司くんのところは私立の精神病院だけど、そこは国立の結核病院で、ぼくは風立ちぬを読んで、そのイメージで病室のことをとらえていました。千津子は、久我さんとは全く違った感じで、ダサい子なんだけど、ぼくは惹かれているのです。久我さんには抱きしめられたい感覚ですが、千津子は抱きしめてあげたい感覚です。
「わたしの詩集よ、大木くんにあげる、読んでみて」
千津子が手作りだという手のひらサイズの詩集を、ぼくにくれます。ぼくの手はふるえていました。寒さのせいでふるえているのではなくて、千津子が好きだから、こころがふるえ、手がふるえるのです。
「ふたつ、つくったの、ひとつ、大木くんにあげたくて、うん、つくったの」
ぼくは、それまで日記をつけたりしていましたが、詩を書いたことはありませんでした。千津子のセンチメンタルな文が書かれた手書き詩集を、ポケットにしまって、暗い夜道をとぼとぼ並んで歩きました。

お正月がおわって三学期がはじまりました。寒い朝、教室には健司くんの姿はなく、千津子の姿もありません。健司くんは新しい学校へ転校するための受験勉強を始めたとの話を人づてに聞きました。千津子は、母が入院している病院に、看病のため、家業のうどん屋を父と切り盛りしていると、千津子の親しい友だちから聞きました。ぼくは、淋しさのなかに放り投げられた感じで、冷たい風が身に沁みてきます。勉強には気が入らなくて、アルバイト先の田宮くんと西陣京極の飲み屋さんへ行きます。
「いらっしゃい、ごはん、たべるんでしょ、作ってあげる」
飲み屋の若い女将が、高校生の年齢だとわかっているので、お酒をすすめることはありません。ごはんとおかず、おかずは焼き魚、ぼくはその魚の名前がわからないでいると、若い女将が教えてくれます。
「さば、冬のサバは寒サバといって、脂がのってて美味しいのよ」
お皿に皮をうえにして、白ごはんに焼いたサバ、それに味噌汁、お漬物、カウンターのうえに並べてもらって、ぼくは、食べはじめます。若い女将の名前は、小枝子さんといいます。出身は佐世保で、集団就職で京都へ来たのだといいます。
「このお店は、だんなさんのもの、わたし、雇われてるのよ」
「そうなの、おねえさん、やさしいなぁ、いいなぁ」
田宮くんが、小枝子さんと話しだしますが、ぼくは横で話を聞いているだけ、たしかに訛りがあるけれど、九州地方の方言だと、ぼくにはわかりません、小奇麗な女性です。

-10-
飲み屋のなまえはフクロウといって、暖簾の横に赤い提灯がぶら下がっています。間口は一間、奥行き一間の一坪です。カウンターになっていて五人横並びできます。小枝子さんひとりで賄っているので、混みあうとお相手するのが大変です。お酒を呑みに来るお客は、西陣の旦那衆、美人の小枝子さんを見に来るといっても過言でないほどです。小枝子さんは白い肌して、26歳の独身だけど、実はフクロウのオーナー、だんなさんとは、おとことおんなの関係なんだと、打ち明けてくれました。
「そうなのよ、あの会社の社長さんよ、まあ、ね、しやないわ」
「へぇええ、そうなの、そうですか、へぇええ」
ぼくと田宮くんは、小枝子さんの身の上話を聞かされます。
<就職列車で京都へ来て、織物の工場で女工さんしたのよ、住み込みで、そうね、三年いたのよ、佐世保の家族に仕送りと、お嫁にいくお金をためてやめたのよ、そのときが19歳でしょ、アパート借りて、ひとりで住んで、レコード屋さんの店員になって、23歳になっちゃって、お嫁に行くの遅れてしまって、疲れてしまって、顔見知りになった会社の社長さん、そうなの、だんなさん、わたし、お世話になりだしたのよ、だんなさんに、でも、なんにもしないわけいかなくて、このお店をまかせてもらって、そうなの、アパートの家賃とか払ってもらって、このお店でお料理させてもらって、ねえ、大木くん、わたしのアパート、遊びに来ていいよ、いいのよ>
小枝子さんは、ぼくを誘ってくれたけど、田宮くんを誘わなかったのは、たぶん田宮くんはもう大人びていたから、たえこさんがいたから、だということが、あとになってわかりました。

小枝子さんがいるアパートは、小路の一角にありました。紫竹荘205号室、ガラガラ開くガラス戸をあけると土間になっていて履物を脱いで下足箱に入れて、階段をあがって廊下があって、右側の奥から二番目の部屋、四畳半一間、共同水道、共同便所、お風呂はありません。
「そうなのね、大木くん、じゃあ、わたしが、筆おろし、してあげるわね」
もう夜の10時を過ぎています。フクロウの店がおわって、ぼくは小枝子さんについていき、紫竹荘205号室へ入れてもらいます。
「かわいいわね、大木くん、立ったままでいいのよ、ズボンとパンツ、おろして、してあげる」
ストーブをつけた畳の部屋は四畳半、オバーコートを脱いだ小枝子さんはフクロウにいた姿のまま、もえぎ色カーデガンに薄紅色スカートです。ぼくは、立っているだけでいい、と小枝子さんがいうので、立ったままです。学生服のボタンをはずし、ズボンを足元まで下ろされ、パンツを膝上まで下ろされると、お尻から腰が丸出しになってしまって、しゃがみこんだ小枝子さんの前に立ったままです。ああ、びんびんになっています。出そうです。小枝子さんは、くちのなかで放出させるべく、おおきくなったモノを右手に握って、ぎゅっと剥きだし、唇にはさんで口のなかへ咥えてしまったのです。ぼくは、もう、それだけで、爆発してしまいそう、二三度こすられてしまって、もう放出、小枝子さんは、口のなかに咥え込んだまま、痙攣がおわるのを待っていました。
「ねえ、かわいいわね、大木くん、見たいんでしょ、わたしの」
小枝子さんは、立ち上がり、スカートをめくってズロースを脱ぎます。そうして、ぼくを中腰にさせ、太腿をひろげて股間を、見せてくれたのです。小枝子さんは座り込み、ぼくにスキンをかぶせてくれて、股間をひらき、そこへ入れるようにと導いてくれます。こうして小枝子さんによるぼくの筆おろしがおわったのでした。

-11-
ぼくは原付バイクに乗って、学校へ通っていました。内緒です、自転車通学は認められていたけれど、バイクで通う生徒はいませんでした。禁止されていたわけではありませんでしたが、高校生がバイクに乗って通学するというのは、想定外のだったと思います。一年先輩の女生徒、久我さんは辺鄙な処から学校へ通っていらっしゃっることを知っていました。
「送っていってあげます、校門の前でまっていてください」
新聞部での作業が終わるのがいつもより遅れてしまったのは、部長のしょうちゃんがこの日はいなかったからです。久我さんとぼくの二人だけの作業でした。ぼくの気持ちは、輝く久我さんを見ていて、とってもうれしかったのです。
「そうなの、大木くん、送ってくれるの、うれしいわぁ」
「久我さんの家、嵯峨でしょ、大覚寺の裏でしょ、いきます、送って」
校門の前で久我さんは待っていました。紺の制服を着た久我さんは、細身で、白いソックスを穿いていらっしゃった。原付バイクといっても125CCの二人乗りができるバイクで、久我さんは荷台をまたいで乗ります。ぼくの腰に腕をまわしてもらって、野道を走らせます。背中に久我さんの顔がくっついていて、久我さんの腕がぼくの腰の前にきて、手が組まれていて、うしろから抱きつかれた格好で、バイクは広沢の池を通過して、大覚寺の裏側へまわって、そこは名古曽というところです。久我さんのお家には、大きな門がありました。和風の大きなお屋敷です。久我さんはお嬢さまです。門の前までいって、久我さんが降りられて、お家のなかへは入らなくて、そのままお別れしました。

クラスのなかで千津子の姿を見ることがなくなっても、だれも気にはしていない風です。だれも気にしていないとしても、ぼくにはとても気になることです。好きな子でしたから、会えないとなると無性に会いたくなります。電話がかかってくることもありません。田宮くんといても、しょうちゃんや久我さんと一緒にいても、千津子の姿と顔が浮かんできます。でも、もう、お別れなんだ、と思うようにして、空白な心を、フクロウの女将、小枝子さんに埋めてもらうようになってきます。ぼくの凍えた心が温められます。
「がっこ、やめたらあかんよ、大木くん、かしこいんやから、勉強しんとあかんよ」
小枝子さんのお店へはアルバイトしたあとにいきます。まだ高校生だからか、小枝子さんに気に入られて、ぼくは戸惑いますが、それから小枝子さんの部屋へ行くことはありません。学校へはまだまじめに通っていて、階段下の新聞部の部屋へ行って、久我さんに会えるのが楽しみになっていました。汚れちまった悲しみ、中原中也の詩が好きになってしまったぼくは、小枝子さんの顔を見たあとには呟いてしまうのに、久我さんと顔をあわせたあとには、やまのあなたのそらとおく、なんて詩句が浮かんでくるのでした。
「寺町の本屋さんへ行くんやけど、大木くん、いっしょにいく?」
部室で、久我さんが、ぼくに、訊ねてきます。まだ夕方までにも時間があって、ぼくは久我さんをバイクに乗せてあげて、寺町の本屋さんへいくことにします。荷台にまたがった久我さんが、ぼくをうしろから抱いてくる感触に、ぼくは仄か以上の愛情を感じるのでした。

-12-
二条寺町の角に果物屋さんがあって、そのお店の横にバイクを停めるスペースがあります。そこまできて久我さんが荷台から降り、ぼくがバイクを停め、目的の本屋さんへはそこからすぐのところです。
「ねえ、大木くん、レモンを買っていくから、ね」
明るい電気に照らされた店先の、右の真ん中の籠に黄色いレモンが積んであります。ぼくは久我さんが買うというので、別段、なにも思わなかって、でもレモンって酸っぱいよなぁ、と思った程度です。国産のレモンだといって、それは珍しい類の果物だと久我さんが解説してくれます。
「うん、あとで、齧っちゃうからね、本、買ってからよ」
三月書房と看板があがった本屋さん、久我さんの目的は、なにやら左翼系の雑誌を買うことでした。オールマイティー久我さん、高校の新聞部というのはどちらかといえば左翼系とみなされていて、言論の自由とか、国家による弾圧とか、ぼくにはまだ興味がわき始めたばかりの言葉を、新聞部の部室ではよく聴くようになっていました。
「唯物論ってゆうのよ、身体があって精神があるのよ、これ基本よ」
紺の制服を着た久我さんが、学生服を着たぼくに、教えてくれます。
「快楽って、悪のようだけど、わたし、そうわ思わない」
久我さんがいう快楽とは、気持ちよくなることだとの解釈です。
「そうよ、女と男って、快楽の原罪を背負っている関係なのよ、わかる?大木くん」
久我さんは、月刊の雑誌とレモンを手に持って、バイクを停めたところに戻る途中に、話しを紡いでいるのです。ピアニストの久我さんは、社会運動の活動家にでも転身するのでしょうか、ぼくは久我さんを見ていて、不思議なヒトだと思えるのです。

寺町通りを北上して丸太町を越えると京都御苑になります。バイクを御苑の入り口の門横に停めて、砂利が敷かれた御苑内にはいります。ベンチがあり、もう暮れかけた夕方の御苑には、男女のペアがからだを寄せ合い座っているのがわかります。ひとつ空いているベンチがあり、久我さんに導かれてベンチに座ります。
「ねえ、ねえ、大木くん、レモン、齧ろうよ、青春の味なのよ」
「はぁあ、皮のまま齧るん?」
「そうよ、酸っぱくて、苦いけど、それがいいのよ、わたし、好き」
黄色い握り拳ほどのレモンが、ぼくと久我さんの目の前にあります。久我さんが右の手の平にのせて、眺めるのです。
「リンゴにしようかなと思ったけど、レモンにしたのよ」
久我さんが、とっても麗しく見えます。髪の毛を後ろで束ねて、耳たぶがとっても可愛く見えます。白い手の平に黄色いレモンがのっています。久我さんは、ぼくの右に座っています。左手をぼくのズボンの上に置き、右手にはレモンを持っているんです。ぼくは、暮れていく御苑のベンチで、久我さんと二人きりです。久我さんが、レモンを齧ります。顔をしかめて、ぼくにも齧りなさいとでもいうように、差し出してきます。ぼくは、久我さんが持ったままのレモンの顔を近づけ、口につけ、齧ったのです。苦い、酸っぱい、レモンの味が口のなかにひろがります。青春の味だと久我さんがいうので、ぼくはこれが青春の味だと思ったのです。

-13-
寺町通から河原町通に出て、荒神口の角にあるモダンジャズの喫茶店へ、久我さんが連れていってくれます。制服を着たままだから高校生だとわかるのですが、久我さんは気にすることなく、狭い階段をあがってボックスになった場に闖入します。真ん中に四角い大きなテーブルがあり、天井から電気の傘がテーブルにすれるほどに低くに、明かりがあるほか、暗い、広くない、正方形の立方体、箱といえばいいのか、喋り声が聴こえないほどに、トランペットの甲高い音が、耳につんざきます。男と女が、群れている、ぼくと久我さんもその一員です。
「〜〜〜〜〜〜〜!」
久我さんが、なにか言っているけど、聞こえません。ぼくは、うんうん、わけわからずにうなずきます。有名なモダンジャズの喫茶店、ここで思案に暮れるそうで、そういう名前がお店の名前になっています。
「〜〜〜〜〜〜〜」
「〜聴こえへん〜〜」
久我さんが手にした雑誌と齧りかけのレモンをテーブルに置いて、丸い椅子に座っています。ぼくもその横に座ります。密着空間、向きあうと抱きあう感じの近さです。耳には甲高いトランペットの音からピアノの音が混じります。ぼくは久我さんの顔を見ています。久我さんは前向いて、ぼくの顔を見ていません。耳の後ろが、暗い中なのに仄かに白く浮かびます。顔をかすかに揺り動かして、音に順化している感じで、いつになく美しい、階段下の新聞部の久我さんより、はるかに美しい、哀しそうな美しさ、手を握ってくれます。

ぼくは手を握り返します。
「〜〜〜〜!」
「〜〜〜〜〜!」
会話できないのに会話して、至福の時、暗いから手を握りあっているなんてわからない。久我さんの柔らかい手、温かい手の平、ぼくは吹奏楽部でトロンボーンを吹いていたけど、トランペットの高音にはかないません。その日、ジャズ喫茶をでたのは、もう夜九時を過ぎていました。久我さんのお家には門限があって、夜10時には帰っていないといけないというのです。
「わたし、ブルジョワジーの娘なのよ、ね、だから」
「だから、なんですか」
「だから、門限があるのよ、夜10時」
「そうなの、門限って、久我さん家、大きな門だもん、ね」
「大木くんは、プロレアート、きっとルンプロよね、ふふっ」
バイクの後ろの荷台にまたがった久我さんは、そんなフレーズをたぶんニコニコ顔で発しながら、ぼくの腰に腕をまわして、顔を横向けて背中に当ててきます。大覚寺の北の名古曽まで、夜の街から暗い街道へ、爽やかな風に吹かれて、疾走していきます。

-14-
久しぶりに千津子から電話がありました。受話器の向こうは、どこかの雑踏のところの公衆電話らしくてざわざわしています。
「大木くん、おかあちゃん死んじゃったの」
病院のロビーからだったのかも知れません。ぼくは、ぼくのいえの赤電話のまえで、わけわからないまま、呆然としていました。
「病院の裏に安置所があるの、来てくれる、わたしひとりよ」
「わかった、いくよ、いくから」
千津子からの電話で、ぼくの心が奈落の底へ落とし込まれ、浮上して、一抹の淋しさを感じながら、バイクで病院の裏の安置所へいきます。木造の小屋、裏は山、石の階段から見上げる高さに小屋の引き戸があります。石段から見上げるところに千津子のすがたがみえます。赤い花柄のスカートを着けていてうえは白衣。
「あっ、大木くん、きてくれた、ありがとう」
畳二枚分ほどの小屋のなか、畳一枚分の台、畳一枚分の土間、千津子のおかあさんは、顔をみせたまま、寝間着にくるまれて、寝かせられています。手を胸に合わせられ、手には数珠がかぶせられ、足首からのつま先は横にひらいています。殺風景な、なにもない、お線香をあげるわけでもない、死体の仮置き場です。
「そうなの、死んじゃったの、かわいそう、そうなの」
ぼくは、仰向いて寝ている死体を見て、胸にゾクッと哀しみの情がこみあげてきて、でも、涙はでません。千津子が、悲しそうに土間に立っていて、母親の顔をじっと見つめています。夕方がすぎて、暗くなってきたころ、葬儀屋の係の人が来て、担架に死者をのせ、石の階段を下り、ライトバンの白い自動車に、棺にいれるのでもなく入れて、千津子がその横に座った格好で、自宅へと戻るのでした。

千津子の家は帷子ノ辻にあります。うどん屋のお店をやっていて、その奥が居所です。ぼくがバイクで追いかけていくと、もう死体は奥の居所に置かれていました。お布団が敷かれ、寝かされ、顔には白い布がかぶせられ、白木のお焼香台が置かれ、線香が一本たてられ、ゆらゆらとけむりがたちのぼります。千津子のお父さまと弟くんがいて、そのうち町内の民生委員というおじさんがやってきて、お焼香して、手を合わせて拝んで、段取りを打ち合わせます。ぼくは、立ち合い、千津子の顔を見ています。お葬式はだしません、お棺におさめたあとはお通夜だけ、明日午後に霊柩車がくるので、そのまま火葬場へ運んで火葬する、というのです。
「うん、いいの、そうなってるの、おかあちゃん、結核やったから」
「そうなの、そいで、学校、やめるん?」
「わからへん、いけたら行きたいんやけど、働くかもしれへん」
「学校、来てほしい、来てほしいけど」
「うん、行きたいけど、勉強してる余裕もないし」
夜が更けるまえに、ぼくは千津子の家を退き、そのままバイクで、嵐山の川べりまできて、渡月橋を右手に見ながら、川の流れの音に身を包まれながら、涙はでませんけど、心のなかでは泣いていました。翌日、午後、市からまわされた霊柩車で火葬場にはこばれ、千津子たちは焼却に立ち会ったけれど、ぼくは家族でないから、帷子ノ辻のお店の前で待っているだけです。千津子に抱かれた白い布で包まれたお骨箱が帰ってきたのは、もうあたりはすっかり暗くなっていました。

-15-
ぼくの手に、手の平サイズの白い詩集があります。まだ夏の終わりの頃、千津子がくれた手づくりの詩集。10ページの本、手書きの詩が書かれています。
<きれいなものを見て、微笑えむことができるようになりました>
<素直に生きることが前よりも容易になってきました>
「これ、あげる、わたしの詩集よ」
放課後、窓から運動場を眺めていたぼくに、声をかけてきた千津子。振り向くと紺の制服、千津子が立っていて、小さな手の平サイズ、メモ帳のような豆詩集を差し出したのです。
「ええっ、くれるん、ありがとう、へぇええ、詩集なの」
ぼくは、千津子が詩を書いているとは知りませんでしたし、こんな詩集を作っているとも知りませんでしたから、戸惑い、受け取り、中を見ないまま千津子の顔をみました。首をくすめるようにして、ぼくの顔をみあげて、目線があいます。真っ黒い、真っ白い、澄んだ目のいろ、千津子は、詩集を二冊作ったのよ、といい、その一冊をぼくにくれたのです。教室にはぼくと千津子のほかには誰もいません。窓の外からは、むこうの運動場で、ラグビーの練習をやっているのか大きな声が聴こえてきています。
「げんきだしてよ、大木くん、わたし、がんばるから、大木くんもよ」
「うん、がんばる、がんばるから、心配しないでいいよ」
友だちがいるところでは、ぼくを無視している千津子が、ぼくに話しかけてくれます。ぼくが特別なヒトでもなく、普通の男子高校生です。千津子は、電話をしてもいいかと訊ねてくれて、夕方から夜7時までなら、いつでも出られるよ、と答えます。夏休みが終わって、二学期が始まったころ、ぼくが千津子に好きだとのメモ書き恋文を手渡し、詩集は、それへのお返しでした。

「飯場のおにいさんが、わたしのこと、好きやというのよ」
「そうなの、工事に来てる人がいるとこの、おにいさん?」
「ごはん食べに来て、好きやといって、お嫁にしたいって、ゆうの」
ぼくは、千津子をお嫁にしたいなんて、思うことすらできない幼稚さです。千津子はもう大人だったのかも知れません。そのおにいさんにどれほどの愛情を抱いているのかは、ぼくにはわかりません。でも、会っていて、そういう話ことを話題にする千津子の心の内は、土木事業に働いている労働者の若い男性を、逞しいと思っていたのかも知れません。
「健司の病院、見学したよ、精神病院、なにか、ぼくも誘われてるみたいで」
「健司くん、賢いから、わたしなんかと、話しもしてくれないよ」
「まあ、男同士だから、それに中学、同じクラスやったから」
「わたしのお家ってうどん屋してるでしょ、こっちへ越してきてからよ」
千津子は小学5年生の時、丹波のほうから引っ越してきて、帷子ノ辻でお店をやりだしたのだ、といいます。出前係はその時からで、夕方から夜に、出前の注文が来るのだ、といいます。
「おとうちゃんが、山で足をケガして、重労働できないから、うどん屋になったの」
「そうなの、ぼくの家は、おばあちやんが、駄菓子屋やってるよ」
「わたし、お嫁さんになりたい、って思ってるのよ、でも大木くんじゃないのよ」
「そうや、ぼくは京大へいくから、まだまだ先のことだよ、まだまだ」
千津子と会っていて、嬉しいはずなのに、心の底の塊りが、愛情欠乏症を発症している感じで、淋しいのでしょうか。

-16-
真夜中、奇妙な夢で目が覚めました。すぐさま脳裏に浮かんできたのは千津子のほほ笑む顔でした。あのとき、安置所へいったとき、うえから千津子が見下ろして、ぼくを見てくれた、そういう像が浮かんでいたのです。目が覚め、夢だと気づいて、猛烈な悲哀に襲われてしまいます。ぼくのからだはありません。こころだけがあるのです。夢中で千津子を追いかけるのは、もう夢のなかではありません。ぼくの頭は冴えていて、キリキリに尖っていて、後ろ向いた千津子が、草叢のなかへ這入っていくのです。赤い花柄のスカートに白衣の背中が、脳裏に浮かびます。
「あかんの、だめよ、いけないわ、だめなのよ」
目が開いて、天井が見えて、ぼくの脳裏から千津子の姿が消去され、ぼくの現実が現れだします。火葬場から戻ってきた千津子に会って、別れて、そのあとには会っていません。音信不通です。電話がかかってくることもありません。どうしてなのか、わけがわからなくて、千津子に惹かれていきます。うわべだけでなくて、キリで揉み込まれるように、心のなかの、深くに這入り込んでくるのです。
「がんばってね、わたしもがんばるから」
いっしょにいても一体になるわけないはないけれど、別々のからだで、別々のところにいるということが、自分のこころを持っていく場所がないのです。なぜ、千津子に惹かれるのか、わからない、いっしょにいたら安心感にみたされる。淋しさなんてありません。夜が明けてきて、朝の営みをこなしながら、学校へ行く準備をします。

教室に入って、指定された席に座るのですが、なにかしら違和感を覚えます。二列向うの斜めの席が空席になっています。千津子が座る席です。漢文の時間で、温故知新、と神社の神主で年老いた先生が、ぼくたちに音読させます。
「おんこちしん」「おんこちしん」「温故知新」
それからこの四文字の意味を説明されます。ふるきをあたため、あたらしくをしる、温故知新、この日の漢文の授業はこの話ばかりでした。授業が終わって、初老の先生が退出されたあとは、わいわいがやがや、生徒の雑談が起こります。ぼくは、眺めているだけで、雑談には加わりません。
「大木よぉ、明日、クラス写真撮るからよぉ、休むなよ」
「休まないよ、来るよ、で、休んでる奴、どうするん」
「それは、しやない、なしや、だから、やすむなよ」
学校に写真部があって、現像とか焼き付けとか、写真部の安川くんが引き受ける、というのです。翌日の休憩時間に、記念撮影、窓のそとに並んで、窓に腰かける奴、安川くんが三脚にカメラをセットして、セルフタイマーで、二枚撮っていました。健司くんがいないし、千津子がいないまま、クラスの集合写真が撮られたのです。放課後になって、ぼくは本部棟の階段下にある新聞部のボックスにいきます。すでに部長のしょうちゃんが長椅子に座り、左翼の新聞をひろげています。久我さんが来たのは、ぼくより15分も遅くです。今日は部会の日ではないので、会議はありません。雑談を交わすといっても、それほどのニュースも持ち得ていないので、もっぱら部長のしょうちゃんが、虚無と頽廃を打ち破れ、克服しよう、と檄を飛ばすほどの迫力ではないけれど、その話をしだします。久我さんは、しょうちゃんに従順だから、なにもいわずにうんうんと頷き、ぼくも反論なんてしなくて、うんうんと意味もつかめないまま頷きます。この日はまだ日が暮れるまでに時間があったから、久我さんを名古曽まで送っていきません。しょうちゃんは腹が減ったというので、学校から歩いてすぐのお好み焼き屋さんへ連れていってくれたのです。







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最新更新日 2022.5.24


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