耽美試行

牡丹が咲く頃(1)-1-

 1〜7 2015.7.7〜2015.8.15

    

-1-

大山香苗が山歩きする目的のひとつは、野に咲く花を愛でるからでもあるけれど、もちろん健康のためとも思うけれど、なによりも仕事のストレスを発散することがあります。山歩きするといっても、京都近郊のコースで、嵐山から嵯峨野を経て清滝を経て戻ってくるコース。ひとりで歩くときは、愛宕山には昇りません。リュックを担いで、等持院の家をでて、そこから嵐電に乗ることもありますが、歩いて御室仁和寺、広沢の池を経て嵐山に向かいます。嵐山から亀山公園にはいって、そこから嵯峨野へでるコースです。野々宮神社は観光の若い女性でにぎわっているから、そこは避けて通って、とは思ってもついつい野々宮神社の前に来てしまいます。
「あのひと、どうしてるかしら」
ふっと思い出すのが、二年も前に別れてしまった彼、村田翔平のことです。愛しあったことを後悔なんかしていません。交通事故、突然の死、あのときは動転してしまって、狂いそうでしたけれど、少しずつ彼がいないことにも慣れてきて、ようやく最近、翔平のことが意識の中から消えていることが多くなってきたところです。大山香苗は25才、短大を出て五年目、デザイン社会に勤めているOLです。特別に、美術系の短大を出たとはいっても、特別な才能があるわけでもないので、いかにも平凡な日々を送っています。その香苗が、翔平に似た男子を見かけたのが、祇王寺へいく手前の、落柿舎が見える道、そこでした。
「あっ」
香苗は、おもわず声を洩らしてしまったのです。ひとり歩きしているみたいで、奥嵯峨の向こうから歩いてきたようで、すれ違いざま、てっきり翔平だと思ってしまうほど、その男性は似ていたように思います。

知りあって、後になってみると、かれは翔平とはまったく違う人格で、まったく違う顔立ちで、似ている処といえば、優しさでしょうか。
「いいえ、わたし、行ったことはないんですけど、たしか花園だったかしら」
かれの名前は、工藤智之といいます。
「あのう、法金剛院ってところに行きたいんですけど、行き方、わかりませんか」
向井去来のお墓の近くへ、香苗が歩いてきたとき、さきほどすれ違った男の人が突然現れ、訊ねてきたのです。香苗は、え〜っと考えて、聞いたことはあったけど、行ったことがないお寺です。
「JRの嵯峨駅から乗れば、花園駅へ行けますけど」
香苗は、どうしたわけか、狐に騙されているような気持ちで、さきにすれ違った男の人が、目の前に現われたことに驚いているのです。
「おひとりですか」
とあとで工藤智之と名乗る男子に訊かれて、香苗は、警戒心もなくなずいてしまったのです。
「行きませんか、いっしょに、そのお寺、花の寺とも言うそうですよ」
「ひょっとしたら、牡丹が咲いているかも知れないわぁ」
香苗が応じてしまったのが、そもそも、この奇妙な話の発端でした。

-2-

JRの嵯峨駅から京都行に乗ると、花園駅まではすぐです。初めて会ったばかりの工藤智之と一緒だったから、道中のことはなにも覚えていません。花園駅に降りて、改札を出て、大きな道路を線路にそって左へ、双ヶ岡の方へいくと、向かいに小さな門が見えました。花の寺、法金剛院、拝観料は智之が払ってくれます。
「案内を頼んだのは、ぼくだから、払います」
スポーツシャツにズボンすがたの工藤智之。香苗は軽いハイキングができるすがたです。見る人が見れば恋人どうしのようにも見える男と女、二人です。時刻は午後四時前です。拝観料を支払って、池のふちに立ちます。本堂は山門を入ってきて右手、阿弥陀如来の座った像が安置されているところです。
「おお、立派だ、立派な阿弥陀如来だ」
「そうですね、ご本尊さま、なんですね」
「ぼくはこんな仏像に興味あるんですが、あなたは?」
「好きってほどでもないし、嫌いでもないし」
「ぼくは、寺歩きして、仏像を眺めるのが、好きだなぁ」
智之が眺めて、感動したらしく、感嘆の声を洩らしています。香苗には、智之が感動するほどの感動は生じてこなくて、むしろ初めて会った智之を、大げさな人、と思ったほどです。ところが、そのそばにある厨子のなかにいらっしゃる十一面観音坐像に、香苗は目を見張ったのです。
「うわぁああ、かわいい、きれい、このひとぉ」
美しい、厨子の壁面にも絵が描かれているからそうさせたのかもしれませんが、そんなに大きくはない十一面観音坐像に、香苗はは、こころが惹かれてしまったのです。

庭に出て、池を見渡せるところの植木鉢に植えられた牡丹が、花を咲かせています。紫が濃い赤といえばわかるかしら、香苗の見立てでは、そのような色に見えたのですが。
「紅だよね、この色、花の色、深い色ですねぇ」
「そうですね、くれない、むらさき、いい色ですね」
短大でも習ったけれど、いまも色彩には興味がある香苗です。男性の名前は、先に聞いていて、工藤智之さん、でもそれだけで、そのほかのことは、わからない香苗です。もちろん、智之にしても、大山香苗、という名前を聞いただけで、そのほかの詳しいことはわかりません。
「ぼくは、売れない小説を書いているんだけど、あなたの仕事は」
「わたしですかぁ、わたしは、デザイナー、デザイン会社に勤めています」
香苗は、相手が小説を書いていると言ったので、自由な人だと思ったのですが、生業は中学校の先生、理科を教えているのだというのです。
「中学校の先生なんですか、京都ですか?」
「いや、尼崎、大阪の向こう、兵庫県ですが」
「中学校の先生、わたし、理科は苦手でした」
「まあ、女子だから、おおむねは、苦手が多い」
「わたし、美術と音楽が、好きでした」
「あんまし、役に立たない学科ですね」
工藤智之が、役に立たないといったことに、カチンときたけれど、なにも反応しなかった。メールアドレスを交換して、花園駅のまえで別れたのが、午後五時五分でした。

-3-

大山香苗が美術系の短大を卒業してデザイン会社に入社したのが二十歳。それから数か月の後になって、知りあったのが同じ会社の先輩、村田翔平でした。村田翔平の、そのときの年齢は25才、香苗より5年も先輩でした。開館したばかりの水族館へ、翔平に誘われるまま、行ったのが最初のデート、といえば最初のデートでした。端正なすがたの、いかにもアーティストといった感じの翔平に、まだ二十歳の香苗が、なにとはなしに気にいった先輩男子として、見ていたのです。
「だから、いま、水族館は、ブームなんだよ」
「わたし、連れてってくださるの、翔平さん!」
「そうだよ、香苗ちゃん、連れてってあげるよ」
香苗としては、それほど興味があったわけではないけれど、京都の新しいスポットとして話題になっていたから、知らないわけではありません。ローソンで前売りチケットを購入してきたのは翔平で、お金は翔平が払ってくれたのです。香苗の記憶に、その翔平と最初に行った水族館の光景と、駅前近くの救急病院に運び込まれたベッドのうえに、瀕死の様相の翔平を見舞ったすがたが、ダブって想い起こされてきたのが、あの工藤智之と別れたあとの、帰り道でした。香苗は、翔平と、お互いに好きあっていたのだと思います。

三日後の午後に、工藤智之から、香苗の手元にメールが来ました。
「大山香苗さま
このまえメールアドレスをお聞きしたので、送らせていただきます。このまえは嵯峨野でおめにかかって、法金剛院までお導きいただいて、ありがとう!また、よろしかったら、京都散策、いしょにさせていただければ、嬉しいかぎりです。ありがとうございました。工藤智之」
メールをもらって、返事をどうしようかと、一瞬迷ったのですが、香苗はすぐさま返信します。
「工藤さま
こちらこそ、知らない仏像さまを拝ませていただいて、ありがとうございました。また、機会がありましたら、誘ってください。メールありがとうございました。大山香苗」
送信し終えたあと、香苗の脳裏によぎってきたのは、工藤の顔ではなくて翔平の顔。そういえば工藤の顔ははっきりと覚えていない。どうしたわけか、香苗には、うすぼんやりとしか、工藤智之の顔が思い出せないのです。
<まあ、まあ、工藤さん、学校の先生してらっしゃるんだ、感じのいいひと・・・・>
メールを受け取ったのは勤務中のことで、返信も会社のパソコンから、返信しました。

-4-

村田翔平は、香苗がデザイン会社に就職して三ヶ月ほど後に、その会社を辞めました。フリーのグラフィックデザイナーとして独立し、会社を興したいとの希望を持っていたのです。恋人同士というほどの関係ではなかったけれど、香苗の、翔平との交際は、むしろ会社を辞め、独立してからのことです。香苗、21才、身体でいえば適齢期、精神でいえばまだ青春、といったところでした。香苗の脳裏に翔平のことが想い起こされます。翔平が内密で撮り残していった香苗との交情場面。翔平が事故死のあと、香苗宛ての荷物のなかの、偶然にみつけたハードデスクに、それは収録されていたのです。
「はぁああ、ああん、いやぁああ・・・・」
「はぁあ、はぁあ、ふぅううっ、ううっ・・・・」
「いやぁああん、翔平さまぁ、あああん・・・・」
香苗の耳に、自分が洩らした声が聞こえていて、恥ずかしいというより、そのときのからだの感じが想い起こされてくるのでした。
「いいねぇ、香苗、ほうら、もっと、もっと、ひらけよ」
「はぁあ、恥ずかしい、恥ずかしいよぉ・・・・」
「恥ずかしいことなんてあるもんか、二人きりじゃないか」
はだかの翔平のまえで、自分のはだかが撮られていて、会話まで収録されているのです。

最初の交情は、建仁寺近くのラブホテルでした。暑い日、まもなく八月になろうとしていた日、会社を退職した翔平が、メールを送ってきたのです。会いたい、とありました。特別な好意を持っていた、というわけではありませんが、香苗は、会いたいに対して、会いたいです、と返信し、その日の夜は金曜日、四条大橋のドトールで待ち合わせたのでした。
「はい、先輩のこと、尊敬しています」
「そういわれても、恥ずかしいなぁ」
「でも、独立、会社をつくられるんでしょ?」
「うん、まあ、そうだけど」
香苗は、翔平が興すデザイン会社の社員になるかも知れないと感じて、信頼しようと思ったのです。香苗は、処女、短大では恋沙汰なしでした。いいえ、感じのいい男子がいなかったわけではなかったのですが、恋にまで発展しなかった。翔平は、それほどのイケメンではなかったけれど、優しさの表情で、香苗を魅了しはじめます。
「ええ、まあ、それわ、わたし・・・・」
暗くなって、ラブホテルの気配を感じて、香苗の気持ちは躊躇します。翔平は、もう、手慣れているのか、香苗をそれとなく包んで、アオイの間で、はだかにされてしまったのです。

-5-

初めてからだを許してしまった相手、香苗にとって翔平は、かけがえのない人になっていきます。処女から女へ、香苗は21才、短大を卒業してデザイン会社に勤めだした年の暑い日でした。自分の部屋に戻ってきて、お風呂にはいるまえに、出血しているのを認めて、腰がだるい気がして、ぬるま湯に浸かっていると、翔平との出来事が、脳裏によみがえってくるのでした。
<いいのよ、わたし、もう、どうでもいのよ、翔平さん・・・・>
べつに投げやりになっていたわけではありません。ずっと興味の対象だった男子との交情を、体験してしまって、ひと肌ぬげた気がして、すっとしたという感じでもありました。翔平とはその後、誘われるままに、月に二回、月に四回、毎週末には会うようになり、秋が過ぎて行く頃には、翔平が香苗の部屋へやってくるようになりました。
「ううん、わたし、いいのよ、でけたら、けっこんしよ」
「そうだな、けっこん、してもいいけど、いいけどさぁ」
翔平が射精するとき、香苗は避妊具をつけてもらってはしなかった。妊娠のリスクが高いときであっても、避妊具なしで交合したけれど、妊娠しなかったのです。

香苗の部屋はおよそ六畳間のワンルームです。それにバス、トイレ、キッチン、収納庫、とあって、生活空間は女の子らしい色合いで、主に暖色系、ピンク系、白系、それに柔らかいタオル、柔らかい毛布、柔らかい肌、翔平を迎え入れる金曜日の夜は、香苗にとってとっても有意義な夜です。
「ああん、いやぁああん、ああん・・・・」
抱かれて、キッスされて、舌を絡ませられた後、乳房を揺すられ、乳首を吸われ、そうして股間へ手を入れられてまさぐられる。
「ああん、してあげる、してあげるぅ、ううっ」
翔平のペニスを握って、先っちょ半分を?き出して、唇で絞めてあげ、お口の中へ頬張って、舐めて舐めて舐め尽してあげる。いつのまにか慣れてしまったフェラチオです。翔平には、クンニリンクス、手で、唇で、舌で、まだ21才の香苗の感じる箇所を、刺激され、濡れて、トロトロ流れだし、それが快感だと思ったのは処女から二ヶ月ほどした九月の終わりころでした。
「ほら、香苗、こっち向いて、ピースしろよ、ほうら」
翔平がビデオカメラを手にして、裸の香苗へ向けてきて、ポーズをとらされるのです。
「ああん、こんなの、こんなふうで、いいの・・・・」
嫌ではありませんでした。むしろ、快感と思えるほどに、からだのなかが濡れてきてしまうのです。

-6-

工藤智之は土曜日と日曜日が休みで、これは大山香苗も同じです。二週間過ぎた土曜日の昼に、工藤が尼崎から阪神電車と阪急電車を乗り継いで河原町までやってきたのです。香苗のほうは、京都住まいだから、バスで四条河原町までやってきて、待ち合わせ場所のドトールの店内へと入るのです。
「ええ、わたしは、いいんです、それよか、工藤先生のほうが」
「ぼくは、ダイエット中だから、昼抜きでいいんです」
オフの日の京都散策だから、工藤智之はデニムのズボンにシャツ姿、香苗は女子のたしなみで、軽いお化粧でマニュキュアも透明、白いブラウスに黒いパンタロン。まわりの人からは、ふたりの関係をどのように見られるのか。当の本人は、初めての約束デートで、お互いにそれぞれのこと、知りあっていません。工藤は尼崎の中学の教師で、実年齢よりふけてみえて30半ばの感じですが、年齢は29才です。
「教師やりだして5年です」
「わたしはデザイン会社に勤めて5年です」
「そんなんだ、社会経験は同じくらいなんだ」
「そうですね、おなじくらいですね」
「京都は、いいなぁ、癒されるよね」
「そうですか、わたしは、京都に住んでるから、わからないけど」
「このあとは、清水寺へ行きたいと思って」
「そうですか、わたしも、いっしょに、行こうかしら」
会う約束はしていたものの、その後をどうするかは決めていなかったふたりです。

鴨川の四条大橋から清水寺までは、歩くとすれば、かなりの距離があります。とはいっても男女のデートコースとしては、半日を過ごせる道のりでもあるようです。四条大橋のたもとから、祇園のお茶屋街をとおって建仁寺。そこから東大路へ出て、清水寺へ向かう途中に、観光スポットがあり、観光客相手の土産物店があり、人が行き交う若い道筋です。人力車に乗らないかと声をかけられたけれど、工藤が丁寧に断り、歩いていくことにしました。
「この坂道の階段をあがって、左に行くと、清水寺だ」
「わたし、来たことあるので、案内してあげますよ」
「そうか、大山さんは京都に住んでて、詳しいんだ」
「ええ、友だちと、よく来ます」
行き交う男女のペア、それに数人の男女で組まれた団体は、外国からの観光客です。思い思いにカメラをかざしてツーショットを撮っているペア。男女のペアちうよりも女性同士のペアが以外にも多いスポットです。京都の八つ橋だとか漬物だとかの土産物店が両側にならぶ沿道は、登りです。正面から清水寺の山門は見えないのですが、数十メートル手前にくると、朱塗りの山門が、かなり高い目線のなかに入ってきます。人混み、さすがに京都観光スポットでは一二を争う場所です。手を握らないまま、たまに、肩が、腕が、触れるほどに間をあけて、大山香苗は、工藤智之といっしょに、清水寺の山門下に着きました。

-7-

もう閉門に近い時間だというのに、清水寺に入山する観光客は絶えません。入山の切符を求め、観光客に混じって舞台へでます。工藤がデジタルカメラで、香苗を撮ります。香苗が工藤を撮ります。そうこうしていると若い二人連れの女性が横で写真を撮っているので、工藤が、香苗といっしょに撮ってもらえないかと声をかけ、舞台の手すりを背中にして、写真を撮ってもらったのです。
「あなたふたりも撮りましょう」
工藤は、二人連れの白いスカートの女性から、スマホを預かり、二人をならべてシャッターを押します。二人の女性は、カメラを構えられると、すかさず右手でピース、にっこりと笑顔をつくるのです。
「ありがとうございます」
会釈され、お礼を言いあい、女性二人連れが清水寺の奥へといくのを見送りながら、香苗が工藤の顔を見ます。翔平とはまったく似ていない工藤智之なのに、香苗には、その顔が翔平の生まれ変わりのようにも思えたのです。

「工藤さん、学校の先生、なにかクラブの顧問でも・・・・」
「ぼくは、理科クラブ、実験指導です」
「そうなんですか、理科クラブ、わたしはハイキングクラブ、でした」
「ふうん、そんな、クラブが、あるんですね、山歩きとか」
「京都とか、奈良とか、琵琶湖とか、お寺巡りとか、でした」
「ううん、れきじょ、歴女なんか、それでいまは、お勤めでしょ」
「ええ、最近は、そんなに出歩けませんわ、でも、好きです」
観光客の中からは、外国の言葉が行き交います。中国語が多いように思えて、日本人観光客よりも外国からの方が多いのかも知れません。一巡めぐって、山門下へ戻ってきて、ふたたび土産物店がならぶ沿道を下りながら、右にそれ、坂の階段をおり、高台寺の近くまであるいてきて、人力車に乗らないかと声をかけられたけれど、断って、円山公園の方へと来たのでした。








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最新更新日 2015.8.13


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