お金がなくてもアートが学べる学校作り、よろしくお願いします。
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来年は、学校をつくるプロジェクトを、具体的に展開していきたいと思っています。
学校をつくるとは、学びの場をつくるということで、様々な要素をちりばめた学校。
作家の在り方とか、作品制作の実際とか、そういうことの根底に、何を敷くのか。
グローバル化していく世界に、自分を見失わないように、考えをまとめる。
反グローバル化、資本に対抗、なんていうと過激なようですが、過激になろう。
いま、新しい作り方を求めて、新しい価値観を求めて、それを求める学びの場です。
具体的な集まりの日時などは改めて告知するとして、参加者を募ります。
ほんとうは、非常にベーシックなところからとらえていきたいと考えています。
基礎の基礎、基本の基本、というところでしょうか、これをカリキュラム化します。
生きることが、生活をつないでいくことが、けっこう困難な時代になっています。
でも生きていくことに希望が持てる、そういう基礎・基本は、何だろう、ですね。
そういうことが話題として出せる学びの場、それにスキルをつけることで作品をつくる。
私自身が直面していることを、共有できないか、と思うところなのです。
そうしてあなたが直面していることと、クロスできたらいいなぁ、と思うのです。
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学校をつくるプロジェクトを提唱していますが、反応はというと皆無に近いです。
そもそも学校をつくるということの必要性がわからないようなのです。
ここでいう学校は、学びの場、既存の枠組みの教育ではない、それに対抗する学校です。
それに対抗する学校、なんて言い出すとこれはヤバイ、まるで革命学校みたいだから。
決してそんな過激なことを考えているわけではなくて、ハッピーライフを得るためなのです。
体制から離れてどこかへ行けるわけではなくて、体制からは逃れようがない事実があります。
この体制のなかで、経済的な貧者は、気持ちの中まで貧者になってしまいそうな世の中です。
起業してあるいは組織に入って、金儲けすることができる人は、それで勝組としていいと思う。
でも、そうではない人は、どうするのか、これを克服していくための学びの場、でしょうか。
そういうことをアートの枠組みで、やっていけないか、との提案なわけです。
-7- 2020.8.20
2001年ごろ、資本への対抗軸として、新しい生活を提案していこうと考えました。
新しい生活のスタイルを、学んでいく枠組みとして、学校の領域でした。
四つの領域にわけて、学校、生産、発信、交流、との枠を考えました。
大きな社会、資本主義経済の終焉に近づいている実感と、人の在り方について。
決して人の心が、夢と希望に満ちた世界ではないことに気づいていたのです。
夢と希望に満ちた世界を得るために、どうしたらいいのか、ということです。
その後、2004年には総合文化研究所とむくむく通信社をネット上に創出しました。
会社組織やNPO組織では、法的な組織ではない、ひとのネットワークを包む疑似組織です。
その後にデジタルネットワークに、フェースブックやツイッターが現れ、現在に至っています。
ところがネット支配する会社は資本主義のなかで巨大会社となり、人のためにはなりません。
新しい資本主義のかたちが見えているといえば見えているので、これへの対抗軸は、なにか。
新しい学校のありかたをめぐって、ようやく議論ができそうな土壌が生まれてきたようです。
-8- 2020.8.20
学校ってゆうのは学びの場で、ひとの考えや思いをつくるベースになる枠組みなんです。
このことが重要で、教育っていうやつ、国の人材を養成するために義務教育をおこないます。
高等教育は比較的自由に自分の考え方をまとめたりできると思っています。
でも、これは、体制を作っていくためのファンダメンタルで、同じ方向へ向かわせます。
これに異を唱えることは、既存の枠ではしません、だから新しい学校では、異を唱えるのです。
自分に合った生き方を求めて、これができる学びの場、です。
総合文化研究所が提唱した学校の領域には、写真学校、農学校、文学校、自然学校があります。
細分化すればキリがないので、大きく四ブロックに分けたところです。
写真や映像を含めイメージを扱うジャンル、食べるものを生産する農学校、文を扱う文学校。
自然学校は、生き方の空間をどうするか、人間本来の姿に戻って、そこから考えよう。
それぞれがクロスしながら、学んでいけるプログラムが必要になります。
このプログラムを創っていくところから、始まらないといけないのです、ほんとうは。