ものがたりブログ

ものがたり-4-
 23〜24 2022.1.14〜2022.1.16

 

-23-
高校生になりました。なにかしら胸ワクワク、とっても前途洋々とした気持ちでした。入学した高校には、吹奏楽部がなく、二年になって吹奏楽部を作るのですが、入部したのは新聞部でした。それから誘われてJRC、青少年赤十字のクラブでした。新聞部は、階段下の空きスペースが部室で、部長は林さん、しょうちゃん、と呼ばれていた男子さんです。そのころ、歌う運動があったようで、しょうちゃんはその流れを汲んで、歌う集団を作っていくのでした。新聞部の部員、しょうちゃんのほか、男子は、ぼくだけだったのかも知れません。女子は、一年先輩になる何人かがおられました。名前わすれましたけれど、女優さんの久我美子に似た女子がおられて、憧れの気持ちをいだきました。まだ活版印刷の時代で、印刷所で組まれた版を見る機会がありました。狭い部室で、女子ばかりの匂いを嗅いでいて、それは男の心をそそるものでした。それよりもJRCのメンバーに誘われて、京都赤十字社の本部へ、再々、連れていってもらいました。女子が多くて、男子は数人だったかと思います。ほかの高校のメンバーが、おもに女子高生でしたが、顔を会わせることも多くて、友だちになれました。個別にお会いするということはありませんでしたが、女子には興味津々でした。

クラスでは、中学校が同じだった男子が数名いて、女子では、誰がいたのかわかりませんが、他の中学から来た女子のなかに惹かれる子がいるのでした。もう夏休み前には、好きになっていて、片思いです、もちろん、夏休み中は会えないから、切ない気持ちになっておりました。そのなまえは、ちづ子、おうどん屋さんの娘だというのです。なにかしら引っ込み思案の女子。ダサい女子、そんなイメージをふりまくちづ子さんでした。担任の先生は音楽教師、年老いた先生でしたが、声楽の分野では有名だったらしいです。高校一年生でのともだちに、きたむら君、みやざき君、くすみ君、それぞれに色濃く記憶に残っている男子たちです。きたむら君は、親から離れて住んでいたぼくの家へしょっちゅう来ていて、寝泊まりしていくのでした。きたむら君のお父さんはやくざさんだと本人が言ってくれました。みやざき君は病院の息子で、医者になるべく勉強を、強いられていた男子。よくいっしょに図書館へ行って、勉強しました。みやざき君の家の病院は、精神科の病院で、よく病棟の話しをしてくれました。一年生の終わりごろ、ぼくは自分で病んでいると思い始めて、みやざき君の病院で診てもらおうかと、思うことしきりでした。くすみ君の家は鳴滝にあって、テープレコーダーがあって、よく録音させてもらいました。くすみ君は、ぼくとつきあうのはやめろ、と母親が言っている、と言ってくれるのでした。

-24-
高校生になって、まだ桜が散ったころ、クラスのなかに、不思議な雰囲気をかもす女子がいるのが、気になります。あまりしゃべらない、言葉少なめの女子で、なんとなく気になる女子。ぼく好みのタイプ、と言ってしまえば、そういうことなのですが、魔女ではない、巫女でもない、その真逆なイメージの、洗練されていない女子。そのなまえは、ちず子、というのです。どいうわけか、懇意になって、おしゃべりするようになって、夏休みを迎えることになって、夏の間、会えないことに、無性に寂しさを覚えたのが、思い出されます。夏休みには、原付二種の免許を取りにいきます。アルバイトは、製本屋を個人営業でやっているところへ、行きます。暑い最中です。アルバイト先は神泉苑の近くでした。三条商店街が近くにあります。大きな荷台がついた自転車で、製本のための紙束を、内職で帳合をしているお家まで、届けるのです。事務で使う複写伝票です。クーラーなどなくて、暑い盛りに自転車で西大路の市立病院の近くまで、持っていき、出来たのを引き取りに行く仕事です。学校では、英語の熟語、慣用句を覚える宿題が出されていました。中学の時から、いや小学生の時から、宿題というか、勉強をしない習慣がついていたので、英語の宿題を、することはありませんでした。小学校や中学校での、親しい友だちはいなくて、高校生になっても、まだ親しい友だちがいなかったので、ちづ子さんのことが気になってくるばかりでした。

とはいいながら、JRCの合宿が、笠置山でありました。京都のJRCがある高校の生徒が合同で合宿したのです。女子が多くいました。私立の女子高生、いっぱい、何をするのも、それらの女子と一緒なので、うれしい気持ちでいっぱいです。工業高校の男子がいて、懇意になります。彼はアマチュア無線の免許を持っていて、赤十字の京都支局へ行ったときに、無線室へ入れてもらい、電波を発するのです。CQCQ、コールサインJA3・・・、彼が発信する処を見て、うらやましい気持ちです。中学校1年の時に、アマチュア無線の免許を取ろうと思って、大阪の電波管理局へ受験申し込みまでしておりました。当日になって、大阪へ行って受験、ということに怖気ついて、行かなかった経験がありました。ぎぎぎぎー、ががががー、雑音のなかで、遠くのほうから人の声が聞こえてきて、交信してる、ということに、とっても興味を覚えたのです。どうしたのだろう、日々、どうにもならないくらい、寂しさが込みあがってくるのです。夏休みが明けて、学校へ行き、久しぶりにクラスの連中と顔をあわせ、共に学び、共に遊ぶのですが、内面、どうしようもない落ち込みを経験しています。ちづ子さんは、なにかしら懇意にしてくれて、ぼくは恋心を感じていて、好きだと打ち明けたわけではないのに、好きあっているかのそぶりを見せてくれるのでした。学校では、二人でいることを良しとしないので、夜に会うことにして、ちづ子からぼくのほうに電話をくれることにしました。






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最新更新日 2022.1.25

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