表現論ブログ

イメージ劇場
 1〜6 2021.1.3〜2021.8.8

 
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もう10年以上も前になりますが、お盆のとき地獄絵図に出会って、写真に撮りました。
還暦を過ぎていて、あの世のことが気になりだしたというのは、本当です。
子供の頃に、清水坂の土産を売るお店の店先に掛っていた記憶が、よみがえります。
幼児ほ筈だった子供の背丈だから、目の前に地獄のイメージがあったのだと思います。
1982年だったか写真とエッセイ「夢幻舞台」という本を自費出版しました。
この本の最初のエッセイに、この話を書いて、写真は六道の辻西福寺の一枚でした。

ようはあの世のことです、極楽浄土があり地獄がある、死ぬと閻魔大王に面会する。
面会して、お裁きをうけて、善良な人間はうえのほうへ、悪徳な人間はしたのほうへ。
絵の真ん中に閻魔大王、鏡があって、その人間の生き様が映し出されています。
還暦を過ぎて、半ば以上に自由人となったぼくは、カメラを携え、盆にこの寺を訪れます。
そのころはまだ撮影しても咎めなく、撮影禁止との張り紙も無くて、写真を撮ったのです。
2021年令和三年正月、ピックアップした写真をつなげていこうかと思ったところです。

  
-2-
ものすごい光景です。
地獄へ行かされたら、こんな扱いされるんだよ、というのでしょうね。
あの世の出来事イメージですが、これによく似た光景だって起こっている。
幼児の頃に地獄絵をみて、それからの浮世、生のなかの底流にこれがある感じです。
昔は本もテレビもなかったから、掛け軸の地獄絵をみて、感化されたんですね。
今なら、写真、あるいは動画で、こういう類似の光景が、作られたりします。

不本意ながら、年老いたぼくは地獄絵よりも浄土絵の方が、いいと思っています。
あの世なんてあるわけがないわけで、信じてないけど、あれば心豊かになる。
最近は、あの世へ行く瞬間の気分って、どんなものか、と想像することがあります。
死んでしまったら、その先の場所は存在しないと考えています。
でも、この世にいて、あの世があると思う方が、心安らぐ、安心できる、ですね。
隠居ってうまく言い当てたと思えます、この世からあの世へ行く途中の生の期間。

  
-3-
九相図という軸があります。
死んでから土になるまでの様子を連続絵にした掛け軸。
これは想像図ではなくて現実図ですから、とてもリアルです。
死んでいくということ、この世から土にかえっていく、人、肉体。
西福寺で撮らせていただいた九相図です。

現代は火葬で、残った骨を骨壺に収めて、墓に埋める、ということです。
風葬というのがあったようで、九相図は、この風葬、だと思っています。
種から生まれてくる人体が、この世に生きて死んでいく、その姿です。
昔から疫病が流行って多数の人が死んでいったといいます。
現在、流行っているコロナウイルスも、疫病というころになるんでしょうね。

  
-4-
内宮という処に天照大神、ここでは天照大御神が祀られているとの表記があります。
外宮があり、内宮があり、天の岩戸があります。
京都からだと大津に向かう蹴上に位置する日向大神宮という名の、神の宮です。
神が住む宮ということですが、ここで問題は「神」という実体のことです。
神話の世界とされている日本創生の話しの、最初の頃のヒトが祀られている。

天照というのは太陽のことかと思いますが、天を照らしている存在。
この存在のヒトが祀られている処で、その姿は見えません、見えないのです。
その昔、縄文の時代からですが、山とか岩とか大樹とか、そこに神が宿るといいます。
ご神体、ご神木、そういう呼び方で、崇めるわけです。
崇めるという様子は、目を上げ、拝む、守ってもらう、というような心理だと思う。

関係性を思うのですが、個人としての身体が、意識を持ったとき、無意識に崇めた。
個人が情動のなかで他の個人をみとめて、感情の交換がおこなわれる、感じる。
共同体の生成が始まってきて、意識が無意識のうちに、相性を確かめるのでしょうか。
親と子、男の子と女の子、母は子を認知し、子は母を認知し、母性社会が形成される。
そういう風景を、比喩をもって物語に仕上げてきた、というのが共同体の枠となる。

 
-5-
古墳の石室の内部、入口は柵がしてあるから入れませんが、内部が見れます。
洞窟、洞穴、死者がそこに葬られるわけですが、体内の生誕の模様でもあります。
輪廻というのか、生まれて、生きて、死んで、生まれ変わってくるという言い伝え。
死んでいくことは、生まれ変わってくることにつながる、あの世のこと。
人間の想像力ってすごいなぁ、とつくづく思う次第です。

ここは甲塚古墳、京都は嵯峨野に、いまはまわりは住宅が建っています。
この辺は、現在の嵐山からも近くて扇状地原野だったと思っています。
現在の大覚寺界隈にも古墳が点在していて、宮内庁管轄のやつもあります。
古墳って、所詮お墓なのだから、とりたてて祝福するイメージではありません。
むしろ畏怖の念、恐れの念みたいな、ヒトの暗部を覗くイメージだと感じています。

だいたい二千年ほど前のことになるのでしょうか、古墳の時代です。
京都の嵯峨野あたりは、秦一族が住むところですが、そうではなくてその前です。
ぼくには詳しいことはわかりませんが、なにかとイメージが膨らんでいきます。
当時のヒトは、どんな気持ちで日々を過ごしていたんやろ、とか、感情とか。
生殖があるわけだから、男と女が結びつく、どんな気持ちで結びついたのかなぁ。

 
-6-
お盆の行事は仏教の行事で神事ではない、というのが現代の見方だと思います。
神さま仏さま、という区分のことですが、これは明治以降に分離されて今に至ってる。
この領域に興味を持ち出したのは、比較的最近のことで、関心を持つのはここ数年です。
仏教というより神道のほうへ興味がわいていて、その昔の内容を知りたいと思っている。
仏教伝来は6世紀中ごろのようなので、それまでは神だけの時代だったと思うんです。

日本というか、この島の国の文化の歴史を思うとき、山や岩や樹などに神が宿ると思われた。
そもそも神とは、カミと発音するのですが、なにを指して神と呼び、ヒトの心の向き方は?。
縄文から弥生、一万年といい、原住民の縄文人文化に、大陸から弥生人文化が重なった。
農耕をもたらしたのが弥生人だといい、縄文文化に弥生文化がかさなってくる、といいます。
縄文文化では自然崇拝、アニミズム、では弥生文化はアニミズムではなかったのか。

仏教が伝来するまでの6世紀以前に、仏像はなく、そうなのか、ご神体は山、岩、樹ですね。
古事記や日本書記の成立は8世紀だし、神話の時代の天照大神は8世紀の創生ですかね。
それまでは、神、カミ、は実像としてはどのようにイメージされていたのでしょうか。
今でいう巫女さんが神の化身だった、というのでしょうか、つまり特別な女人とか。
女人の感性に憑いて、憑物が女人に宿って、その女人が目に見えない神の化身になるのか。






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最新更新日 2021.8.24

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