表現論ブログ

にっき
 2021.8.9〜2021.8.19

 

210809
お盆の日、8月9日、長崎に原爆投下された日、それから76年目の日です。
なにかしら、むなしい気持ちばかりが先立ちます。
というのも、アメリカもロシアも、そのほかの核保有国も、核兵器持ったままです。
軍事優先で、世の中の支配関係が成立しているのには、許せない気持ちです。
平和を願うのは、たぶん、人間ならすべての人が願うはずだと思っています。

もう戦いのための武器は棄てようよ。
呼びかけても、為政者は、現状では棄てられないというでしょう。
これが空しくさせる諸悪の根源ですよ、もう武器を捨てましょう。
平和を願って、一切の紛争を無くす、人殺しの兵器を使わないでほしい。
今日は、そういうことを言う日なのだと思って、ちょっと書きました。

五行を三段、これがぼくの最近の文章の形式になってきています。
もしくは五行くらいを、。で区切って、書いていきます。
ツイッター、むくむく通信社、毎朝、自宅にいるときはここからです。
seesaaブログは三つあって、そのうちのひとつがこれ、表現のブログ、です。
ライブドアのブログは四つあって、そこでは文章は書かなくて、写真を載せています。

210810お盆の行事がおこなわれていて、ヒトは先祖の霊を呼びにいきます。
塔婆を書いて、煙にかざし、塔婆を水にながし、お迎えの鐘を突きます。
こうして先祖の霊だったり父母の霊を、家の仏壇に迎え入れて滞在してもらう。
ぼくは、ひとりでは、この一連のことをしていません。
カメラを持ってその現場に立ち会いますが、行為するヒトにはなりません。

たぶん信じるということができないタチのヒトなのだと思います。
でもヒトだから、別のヒトといっしょに居たいとは思います。
家族、子供、孫、血縁のヒトと妻たるヒト、これがぼくの濃密な関係のヒト。
それ以外に友となるヒト、ぼくは男だから男友だちと女子のヒト。
女子のヒトには特別な意識を持ちます、同行していきたい、仏ではなくヒト。

共に学びあいましょうというヒトがいます。
女子だから、その女子ということを意識してしまいます。
勉強することは、生きることの共感を作り出す、そのことだと思います。
気持が傾くということ、一体になるわけがないのに、一体をめざす感じです。
なんだか夢の中、空想の中、現実とは思えない、幻想領域の出来事です。

210811
難しいこと、脳のなかが混乱するようなことは、あまり文章化しないほうがいいですね。
といいながら、視覚の現在位置はいかなる処にあるのだろう、なんてことを考える。
イメージのなかみをどうする、なにをつめる、なにを見せるの、ということだ。
具体物を撮り出して、平面で目に見えるようにする、指し示す、指示する物がある。
この指示する物、これが曖昧、希薄、まるで霧のような物を指示すること。

物には意味があって、その意味を表すために物を見せる、このことをするために写真にする。
具体物には意味があって、共通な意味があって、この意味を変容させる、これが表現です。
共通な意味の確認も表現の部類だけど、表現の幅というか高さは、自己表現が低い。
視覚の現在なんて言葉はもう半世紀もまえに使われている言葉ですが、内容はどうなのか。
半世紀、50年の幅を越えてきて、多様な表現の形を踏んできて、いまや無色透明に接近です。

ややこしいから、もう考えない、言葉にしない、そう思っているのは事実です。
イメージだけの交換で、意思確認ができるかどうか、想いが通わせられるかどうか。
伊弉諾と伊弉冉が子産み行為に先立って、ことばで行為することを確認するんですね。
やっぱり行為するためには、イメージを見せるためには、言葉が必要となるのかな。
言葉がなくても分かりあうイメージを、視覚の現在位置は、このイメージを産むことか、とも。

210812
このイメージが撮りたくて、蚕の社へ赴いたのでした。
写真にしてみると、イメージよりもおどろおどろしていなくて、明るいです。
深くてどろどろな、いやいやさらさらでもいいけれど、暗闇に浮かぶ神みたいな。
神のイメージを求めていて、もとから目に見えない相手だから、化身を撮ります。
巫女さんを撮れば、それも神のイメージになると思っていて、それはこれからです。

なんとなく、作品みたいな感じで、イメージの連鎖を作れるかとも思います。
神社では、これまで、かなりの写真を撮ってきて、いまだ作品には成り得ていません。
陽炎のようなイメージもあるし、木の葉が騒ぐイメージもあります。
見えない神を表現するのに、そんな手をつかったらいいのか、です。
時代的には、神のことをテーマしても通じる時代になってきていると感じています。

まだまだイメージを昇華させていかないと、ありきたりの神のイメージになってしまう。
縄文と弥生が接合する時代イメージを、と思っても、すでに作られたイメージが浮かびます。
そんなんじゃなくて、と思うけど、そうですね、撮った写真でイメージを繋げるしかないです。
素戔嗚とか黄泉の国とか、地の底イメージに共感するけれど、天照の明るさも魅力です。
さてさて、まだまだ、イメージトレーニングが足らないから、巫女さんと一緒に学びたい。

210814
気持としては、とっても辛い気持ちです。
待ちに待った日がやってきたのに、雨のため中止になりました。
でも、それでよかったのだと、思います。
無理して、苦しい気持ちになるよりも、自然のままに流すのがいい。
縁があれば、継続してくれるやろし、そうでなければ終わるだけです。

先祖の霊を迎えていて、拝んであげて、明後日にはあの世へ送ってあげる。
いま先祖の霊が家のなかに戻ってきているようですが、見えません。
あんまり気持ちを込めて迎えていないから、怒っていらっしゃるかも。
だいたいが自分さえよければタイプだから、ひともぼくのことをそう思っている。
深く降りていくと、やっぱりいけない処に至ってしまうので、この浅さでいい。

共同幻想、この話をしようと思っていて、メモして準備していたけど、ご破算です。
個人幻想と対幻想、そして共同幻想になる、この理屈を言葉で説明する力量がない。
もう少し、いろいろな知識を詰め込まないと、語るには薄っぺらすぎます。
なんてったって、いまさら記憶しようと思っても、それが出来ない、老人力です。
できることしかできないから、無理していくと、結局、破綻してしまうやろしねぇ。

210815
もし、これで終わるのだとしたら、それはそれでしかたないなぁ、と思えます。
成り行きにまかせて、来る人は来るし去る人は去ります、これでいいのだと思います。
なんだか悟りきったことを言っているけど、いまはそんなに動転していません。
お盆のせいかもしれません、心が静かに、自然のなかに消えていく感じです。
今日は終戦の記念日、お盆の真っ最中、雨も止んでいて、空は明るいです。

切羽詰まって、どうしようもないという気持ちではなくて、平常心が保てるか。
これは内面の日記なので、ひとまずどこにもリンクさせません。
見知らない読者のヒトには、告白もフィクションのいうちだと思って、公開です。
成すがままにしておいて、相方のほうから、会う気があれば連絡が来る。
今日のところは、このように対処していけたらいいなと思ってる、寂しくて空しいけれど。

あの世のことはわかりませんが、想像して仏像をつくり、その世界を目に見えるようにしている。
京都にいると、公開されている仏像にお目にかかるので、それほどの違和感はありません。
日常でも見れる仏像、日常では見れない仏像、秘仏とかいうのもあります。
人間って、仏教伝来以来、目の前に仏像をおいて、現世の四苦八苦から逃れようとして拝んだ。
そうですね、召させるという言い方があるけれど、あの世へ召されていくんですね。

210816
ここは表現のブログで、すでに460件ほどの記事をストックしています。
seesaaという無料ブログを使わせてもらって、他にも二つ、計三つのブログです。
写真学校とかの広報のために使っているのですが、前には小説とかも書いていました。
今年の春以降は、小説形式のフィクションは書いていなくて、ここみたいな日記体です。
ツイッターとフェースブックには、転載、シエアして、存在を誇示しています。

ツイッターは数人の方とシエアしあっていて、相互にイイネをしています。
フェースブックもしかりですが、直接に記事をアップすることはしていません。
インスタグラムは、最近、月に一回ほどアップして維持しているところです。
ひところは、三つのSNSをつかって、広報展開していましたが、いまは自粛しています。
これから、どうするか、このままネットを使っていくのか、いま思案しているところです。

正直なところ、けっこう気持ちが滅入っていて、どうしたらいいのか迷っています。
もっと縮小して、淡々としていくのがいいかもしれない、と思う反面、続けようとも。
どうしたものか、過去の実績もあるから、それを残しておきたいという気持ちもあります。
だけど、恥をさらすだけだから、もう終えてもいいかも、とも思って揺れ動きます。
今日はお盆の最終日、明日はお寺での法要です、行ってきます。



20210819
なつかしい写真、撮影は1975年かその翌年の夏、石川県の内灘砂丘です。
家族で海水浴に行ったんですが、その時に撮った数枚のなかの一枚です。
家族以外にモノクロで撮った最初のフィルムが、これでした。
内灘のことは学生のころから、社会運動史のなかに出てくるので認知していました。
弾薬庫の痕です、内灘砂丘が米軍の試射場になって、住民の反対運動が起こった。

大正時代、滑川の米騒動、江戸時代の一向一揆に遡れる住民運動がこの地にあった。
第二次大戦が終わって、講和条約が結ばれて、米軍が駐留することになって、ここ内灘。
朝鮮半島に向けて、日本海側の軍事戦略上の要所が、ここ内灘砂丘だったというわけ。
1952年に講和条約が締結され、1953年に試射場で住民の反対運動が起こった。
一連の基地反対闘争の最初だったと記憶しているけれど、そうですね。

いまはすっかり平和ムードで満満の日本国内です。
メディアも反対する声には、あまり報道しませんし、運動してるひとを異端者扱いな感です。
なんという日本の表面かと思ってしまうのですが、世界は、様々に動いているんです。
昨日今日ではアフガンのタリバン政権が樹立してきます。
人権無視するかも、との懸念もあって、利害国は、様子み状態ですね、注視します。




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最新更新日 2021.8.24

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