表現論ブログ

静止画論
 1〜6 2020.9.4〜2020.9.24

  

-1-
<静止画表現について>
これまで写真という名称を使ってきた論を、静止画という名称に変えてみたらいかがなものか、とかなり以前から考えていて、ついにここに静止画論として書きだすことにしました。静止画に対して動画を想定していて、これまでだったら写真と動画として対置していたのを静止画と動画として対置してみようと思うのです。言葉が生み出すイメージは、歴史のぶんだけ豊かなイメージ群になろうかと思えますが、いったんそのイメージを外してみて、現在から未来にかけてのそれらの在り方に言及していければいいかと思っているところです。あんまり難しい言葉は使わないで、なるべく平坦に、読んでイメージが湧くような文章にしていきたいと思っています。

カメラ装置を使って生み出される、言語に対置するイメージの総体を、映像と呼んでみようと思います。映像には静止画と動画が含まれ、これまでに写真と呼んでいた画像もここに含みます。これまであった映画とかビデオとか、それらを動画の範疇として扱って、映像として含めようと思います。主にはここでは静止画表現に集約していくべく、言葉を紡いでいくことにして、論として成立すれば、いいかなと思うところです。けっこう無謀な試みですが、ぼくの頭のなかは、これまでの経験値しかなくて、そんなに新しいことを、劇的に変変換できるとは思っていなくて、読んでいただいて、理解できるようにしていきたいと思っています。静止画を一枚添付しますが、本文とは直接関係しません。

-2-
<静止画の先祖は絵画>
いまデジタルカメラで静止画をつくることになるのですが、その前にはフィルムを使って静止画を制作していました。その頃は静止画のことを、日本では写真と呼んでいました。カメラ装置を使って静止画が誕生するのが19世紀の中頃、今から180年ほど前、1939年フランスで発明されたことになっています。それまで、平面の静止画(絵画)は絵筆をつかって制作されていたのが、絵筆を使わずに感光する薬品を塗った平面に光を当てて絵を得ることができたのです。これが今に至る静止画の最初です。カメラ装置はすでに、絵を描く装置としてありましたから、感材の発明によって静止画が制作されるようになります。その平面に描かれる形態から、絵画の延長上に静止画が誕生したとみるのが、正統な見方だと思います。

絵画から発した静止画が、それからおよそ半世紀後に、映画として1890年アメリカで、1895年フランスで、発明されます。静止画が連続したもので、静止画の連続による動画です。動画の基本は静止画をつくるフィルムの一枚ずつを連続して投影することで、スクリーンに映し出されると動くように見えるのです。この流れは静止画とは別の系で発展してきます。やがて磁気テープに記録されるビデオ装置が開発され、デジタル信号によって記録されるようになりました。一方、静止画をつくるカメラ装置も、フィルムを媒体としていたものから、デジタル信号によって記録するようになって、現在です。静止画の先祖は絵画、と表題しましたが、発達史からみると形態として、そのように言ってもいいかと思います。ハード環境の歴史を見る限り、静止画は絵画の発展系です。それがデジタルカメラになって、そのハード環境のルーツは、映画に求められるのではないかと思えるのです。

-3-
<デジタル画と非デジタル画>
2020年の今、デジタルカメラで撮るデジタル画像が、静止画の領域を制覇した、とぼくは考えています。静止画をつくるのに、かってありいまもある、支持体に感光材料を塗って、露光して、画像を得るという方法があり、これはアナログ写真ともいわれているところです。ここではこのアナログ写真を総称して、非デジタル画と呼ぶことにします。非デジタル画は、支持体に銅板を使ったり、ガラス板を使ったり、フィルムを使ったり、また陰画であったり陽画であったり、薬品の効果で定着したモノが、目に見えるモノです。デジタル画はデジタル信号で構成されており、ディスプレーというかモニターがないと見ることができません。この目に見える、見えない、を断絶しているとみるか連続しているとみるか。方式からすれば断絶しているというのが妥当でしょうか。デジタル画像がつくられるカメラは、もともとアナログのテープレコーダーから始まって、映像がみれるビデオ装置が開発され、アナログ信号だったものがデジタル信号に置き換えられた、という歴史があります。今やデジタル信号を使う方法は、電算機からパソコンからテレビなど、あらゆるところでデジタル化に移行してきています。

静止画を得る方式として、デジタルカメラが売り出されたのは1995年のこと、それから現在2020年、発売から25年です。デジタルビデオは1983年、ソニーがD1規格で発表したとありますが、テープレコーダーの延長線上にアナログ信号からデジタル信号に切り替わってきます。デジタル静止画カメラは、機材としてはこの流れの中に開発されてきたのではなかったかと思っています。デジタルで動画をつくる、それの一コマの画素数を上げて、フィルムで制作した画像に匹敵させる。カシオが発売のデジタル化メタは20万画素だと記録されていましが、フィルムに匹敵するには800万画素、という話しでした。ちなみに2020年現在、コンパクトカメラで2000万画素以上になっているし、一眼カメラだとそれ以上、いまや大型カメラのフィルム画素数に匹敵するところまで技術は進んでいるようです。商用でもデジタルカメラで制作が可能な時代になっているのです。

-4-
<静止画と動画>
2020年現在、通信回線では5G、ファイブジーになったし、NHKテレビでは4K放送、8Kの実験放送が始まっていますね。ネットでは、YouTubeが人気になっています。通信回線の拡大で、ますます動画が簡単に迅速に公開できるようになってきています。SNS、フェースブックやツイッター、それにインスタグラムでも動画がアップでき、ライブもできるようになってきています。そういう環境のなかでの静止画について、どう使うのかを考えることが必要だろうと思うのです。かってあったフィルム画像では対処できないデジタル環境の昨今です。まだまだフィルムを使う愛好者がおられるようですが、どうなんでしょうか、薬品調合して印画紙にてイメージをつくりあげる、その経験を積んだ年配者には、新しいデジタル方式に慣れないから、旧態のフィルムで静止画を制作する。工業製品であるフィルムから一連の静止画制作は、生産中止になったらどうするのかが問題でしょう。かなり前から、フィルムで撮ったネガをスキャンしてプリンターにて画像をつくる、つまりデジタル画像処理をしてプリントするというのが、サービスプリントの当たり前になっているのでは、ないですか。

デジタルカメラで撮る静止画が、デジタルカメラで撮れる動画に替わっていくとき、静止画には新たな意味を見つけ出さないと旧態になってしまいます。かってフィルムで撮った静止画に意味をつけていた批評というか評論に、デジタルで撮った静止画が、同じ位相で語られるには、ちょっと違う気がします。もちろん、批評や評論は、その時代のバックヤードを反映する、それが反映されるから、とうぜん時代とともにその内容も変わるわけですから、あえて非デジタル、デジタル、と分離する必要はないかも知れません。絵画論の部分が、静止画論にもあてはまるところもあると思われるから、その延長線、一直線上に、絵画、非デジタル静止画、デジタル静止画、と並べて論じることも可能な気がします。

-5-
<デジタルの時代>
ただいままだ進展中のところですが、情報のデジタル化が加速しているように思っています。通信インフラの、パソコンでつなぐネットワークなんてすでにデジタルによって進化してきているところです。AI、人工知能もデジタル、コンピューターのプログラムもデジタル、デジタルに取り巻かれている日常です。このなかで、制作のプロセスはともあれ、目に見えるかたちのモノ、たとえば新聞、雑誌、単行本などの印刷物があります。この線上に写真プリントを置くことができます。制作のプロセスでは、いまや記事をや文章を書く道具がワープロなら、印刷技術もコンピューター処理で印刷機を動かすことになります。技術の細部を見だすと、もうデジタルの世界ばかりです。一方で、手づくり品、デジタルを使わない手づくり品、この領域に、静止画であれば、フィルムを使ったり自作のフィルムではない非銀塩にて制作する領域があります。

デジタルカメラで静止画を作り出す。このことが、現在から未来への静止画を作るベースになると考えています。非デジタルで静止画を制作する方法は、年月が経つとともに、古典技法の一部分になっていくと考えています。フィルムメーカーによる工業品としてのフィルムや印画紙は、需要があり製造コストが採算ラインであれば、という注釈つきで、製品として残されると考えます。静止画カメラで静止画をつくるのに、一眼レフとかのフィルムカメラは、すでに生産されていないですね。生産されているのは、デジタルカメラ、それからスマートフォン内蔵のカメラです。(続く)

-6-
<オリジナルプリント>
静止画を紙などに定着させるプリントに、オリジナルプリントという概念を付与しだしたのは1970年代の後半でした。静止画を販売するという目的で、絵画や版画の延長上に写真(静止画)を置いた概念でした。絵画のように本物一点、というものではなく、版画のように摺れば複数の本物ができるように、写真(静止画)にも版画のようなエディションを入れるという手法が取られました。版画の版が摩耗するほどに、フィルムは劣化しないから、何枚でも複製が可能という見立てがあり、そのためには、エディションだけではなく、プリントに一定の処理を施して、オリジナルプリントとして制作するようにされたのです。印画紙に定着させた画像にアーカイバル処理を施したり、水洗を徹底して定着に使ったアルカリを無くすとか、それなりの処理をして、PH濃度ゼロのマット紙に挟んで保管する。保管する箱にも工夫が凝らされる。

20世紀になると、写真(静止画)が印刷物にして使われる時代が到来します。新聞、雑誌、書籍などの紙媒体メディアに使われた後の印画紙は、無用のものでした。その後、写真(静止画)を作品としての価値を見出す方へと、一部のカメラマンたちが目論んできます。オリジナルプリントの概念が語られだすのは、1970年代、イーストストリートギャラリー(アメリカ)においてだったと記憶しております。日本ではオリジナルプリントの制作ワークショップが開催されるのは1981年、ギャラリーOWLでの記録が残されています。具体的に、オリジナルプリントが語られだしてようやく40年が経過する現在(2020年)です。撮影はデジタルカメラ、プリントはプリンターで出力、という時代になっております。1980年当初に考えられたオリジナルプリント概念から、フィルムと印画紙の時代が終わったいま、あらためてオリジナルプリントとは、何を指すのかと問う時期に来ているのだろうと、考えるところです。





HOME

最新更新日 2021.7.2

ツイート


HOME



文章・小説HOME


文章・評論HOME


文章・評論表紙