表現論ブログ

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 21〜24 2020.12.27〜2021.2.2

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毎月第四土曜日の午後に「現代写真の研究会」を開催しています。
この枠で研究会を開くようになった経緯は、現代写真をどうとらえるか、です。
三年前に現代表現研究所を設定し、参加を呼びかけているところです。
そこから学びの場として「京都表現学校」を開校しました。
セオリー、絵画、写真、映像、文学、音楽、かって分けられている分野の個別。
細分化された個別を、統合していく視点で、捉えていこうという目論見です。

各分野の中心を担ってくれるメンバーを探していて、声かけもしたところです。
でも、現実には、共に学ぼうという希望者が見つからなくて、写真に特化したわけです。
2020年も残すところ五日間、来年はどういう歳になるのかわかりません。
ますます底流が見えにくくなっている時代に、突入していると思っている昨今です。
作家、あるいは批評家、それを発信していく仕掛け人、京都から新しい波をと思います。
来る人は来る、来ない人は来ない、金の切れ目が縁の切れ目にならない関係を、です。

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10年ほど前になりますが、ある仏閣の仏像に感動、写真を一枚、撮らせてもらいました。
写真ですが、手元にあってときたま見ると、ぼくのなかに感動が起こります。
文章を書いたり、写真を撮ったり、制作活動を続けている輩です。
現在は、インターネット経由で、作品を公表するばかりです。
現在の発表形態で、コストがかからないから、重宝しています。
でも、まだまだ世間の価値観は、出版物にあり、展覧会にあると思っています。
ぼくの課題は、それにどう向き合って、対抗して、成熟させていくのか、です。

出版物の歴史は、印刷技術が考案されたあたりから、本格化したと思えます。
それまでは、版木に彫って刷ったと思うけど、まあ、目に見えるものでした。
写真は、絵画を起源だと思いますが、フィルムができて、世に広まりました。
フィルムからデジタルデータになって、ネットに載せることができる現在です。
ネット社会になる、デジタルの時代になる、歴史としては25年ほど経ったところです。
デジタルで制作した写真や映像を、新しいメディアであるネットに展開する。
それが、成り行き、旧態メディアとは違う、新しいメディアでの表現なのだと思います。

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嵐山の渡月橋のまえをまっすぐ行くと、嵯峨釈迦堂、清凉寺の門前にきます。
ぼくも、最近、京都の神社仏閣を訪ねて行って、写真を撮っているところです。
いくつか、取材に入るルートがあって、ここから始めるコースがあります。
いつの間にか、ここから、この門前からシャッターを切りだすようになりました。
ここは、中学生のころ、清滝へ飯盒炊爨にいくとき、通ったポイントです。
ここから嵯峨野経由で嵐山へ向かうとき、愛宕の方へ向かうとき、があります。

行きなれた場所ですが、そのつど、同じ場所、同じアングルで写真を撮っています。
動画で撮ることはしていません、静止画だけです。
ここへいくと、平安京がはじまったころを、いろいろ想起します。
源融の別荘から始まったというこの場所が、なにかしら、心に響くのです。
愛宕の方へ向かうとき、嵯峨病院というのがあって、気になる病院です。
精神科の病院ですが、高校の時の同級生のお家が、経営している病院なのです。

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昨年のいまごろ、ご近所で、子供のころからの知り合いが、お亡くなりになられた。
発見が遅れて、世間でいう孤独死になるのですが、数日前、そのお友だちが訪ねてこられた。
小学校を卒業して以来、お会いしていなかった方ですが、おぼろげながらお顔がよみがえります。
ぼくは不在で、家族が応対してくれたのですが、そのときに花束を持ってこられた。
仏前にといっても家には鍵がかかっているので、玄関表に飾られた。
訪ねてこられた方は、これまでにも気になっていた方で、消息がわからなかったのです。

小学校の同窓会をしようということで、数年前からあらためて始まりました。
その世話役の一端を担ぐことになったのですが、昨年から今年の開催はありません。
数年前に集まったひとのなかには、小学校卒業以来という方も何人かおられました。
それぞれが、それぞれの人生を歩まれ、ぼくもぼくなりに歩んできたところです。
人生って、ひとりひとり、ほんとに違うんですね、あらためて、そう思います。
さて、残された年月は、どれくらいあるのか、これが不明だから、ぼくは戸惑うのです。




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最新更新日 2021.3.27

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