表現論ブログ

文学のはなし
 1〜13 2018.1.4〜2020.12.23

 

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<夏目漱石と谷崎潤一郎>
文学のことを勉強しだしたころ、二十歳前だから1965年あたりだと思います。文学を研究するという仲間ができるのはそれから数年後、1968年あたりでした。ぼくの手元にいくつかの文学全集があって、そのなかに夏目漱石全集と谷崎潤一郎全集がありました。数年前にぼくも理事をやっていたメディア図書館に蔵書として納めたから、いまは手元にありません。漱石全集は岩波書店から出ているもので、漱石文学の底本となる全集。谷崎の全集は1966年だったかに発行される全集で、配本を待って届いたやつで、社会人二年目の冬のボーナスのほぼ全額で一括払いしておいた記憶があります。長年、ぼくの書斎じみた空間の書架に並んでいた書籍でしたが、もう全集をひろげて読むこともないだろうと思って、公共の場所に移させてもらったのでした。

 漱石は日本文学を勉強するには必須の、あるいは基本の文学だといわれて、なにが基本なのかわからないままに、そうだと思って書架に並べていたところです。ぼくは決して研究家じゃないから、ざっくりとしか理解できないけれど、いまこの歳になって思うことは、明治期、日本の小説が西欧の影響をうけ、執筆されだしたころ、どうなんでしょう、漱石は英国文学の影響があるのでしょうか、わかりませんが、近代日本人の悩みみたいな、自分ということ、自己について、自我とかについて悩み描かれたのだとか。恋愛、男と女のこと、嫉妬すること。ひとりの女をめぐって、とりあいするんですよね。それからの代助でしたか、心の先生でしたか、文献なしで記憶を辿って書いているから明確にはなってきませんが、近代の自我、恋愛感情、則天去私を解釈すれば、私を超えて天道に則る、という悟りの境地に至るんですかね。漱石人生50年、50才ほどで死んでしまう。それからみればぼくなんか、それより20年も長く生きている。

 漱石はめちゃくちゃ真面目人間イメージですが、時代も大正から昭和にかけて、谷崎の小説は読み物そのものな感じで、物語です。大衆文学の部類に入れればいいのか、自然主義文学の系列からは離れていますよね。読み本、男と女、家、時代の枠組みを底辺において、人の生きざまを物語として、外面だけではなくて、その内面を、人間の心理を、痴情であるとか禁句であるとか、しかし人間の内面の欲情とか、そういうレベルの領域に踏み込んでいくような小説なのでしょう。正直にいうと、ぼくは谷崎の小説を真剣には読んでいません。だから全体イメージは湧かせられるけれど、細分のところはわかりません。谷崎潤一郎文学館でしたか、あるきっかけで二年ほど前におとずれましたが、資料がいろいろあって、勉強させてもらいましたが、あんまり記憶には細かなことは残っていません。漱石も谷崎も文豪といわれれば文豪なのかと思うほどに気高い峰をもった作家だと思います。今年2018年、平成30年、あらためて文学をたしなみたいと思うところから、この小文を書きました。推敲なしです。

 

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<野間宏の暗い絵>
ブリューゲル、野間宏、暗い絵、この三つのフレーズが頭の中に起こってきて、どうした弾みかこの三つが関係あるようなないような、気になっている正月明けです。ブリューゲルというのは中世の画家、野間宏は小説家、暗い絵というのは野間宏の小説の表題です。この暗い絵の冒頭にブリューゲルの絵の事が描かれているのを覚えていたからですが、もうすっかり過去の小説家なのかも知れませんが、野間宏という作家にも興味を持っていたなぁ、と思い出すのです。18才か19才のころ、文学に興味が出てきて、小説を読みだしたなかの一冊に、野間宏「暗い絵」があった。文庫本で持っていて、それが手元にあるかどうか書棚の文庫本のところを探したけれど見つからなかった。それで筑摩の現代文学大系のなかから野間宏の巻を探し出して先ほど見てみたら、長編の真空地帯が最初の巻に暗い絵が収録されています。同時に「崩壊感覚」という小説も含まれています。野間さんは戦後派の作家で、暗い絵は昭和21年に発表されています。昭和21年というのはぼくが誕生した年で、読んだのは発表後20年ほど経った頃、ということになります。

 野間さんは私小説作家には入れられていなくて、全体小説と呼ぶんでしょうか、そのように呼んでいたと思いますが、スケールの大きな舞台でフィクション化されていく物語です。ぼくはこの全体小説が当時の現代文学の潮流だというように教えてもらった記憶があります。私小説作家のノンフィクションだかフィクションだかわからないような語り口で物語られる小説とはちがって、これぞ小説、ノベル、フィクションだ、とだから思っていたところです。小説を書こうと思っていたころ、全体小説的な構想を描いてみましたが、モノにはなりませんでした。現在でも作家コンプレックスがあって、まともな小説なんて描けないなぁ、と思うところです。暗い絵、ブリューゲル、この二者をつなぐイメージに、ぼくは陰鬱な人間のあり方を彷彿とさせられます。暗いのはいけないよ、明るくなくっちゃ、と最近は思うようになっていますが、40代までは、暗いことが好きでしたね。私小説と全体小説は、どこがどう違うのかということですが、ぼくなりの解釈でいえば、私小説は政治の問題には触れなくて情の問題だけに限定していくような手法。全体小説というのは政治の問題を基軸に置いていて、社会全体を構造的にながめ、そのなかに擬人化させた人間を登場させるという枠組みをつくるのだと思います。

 日本においては明治の終わりごろから自然主義小説があらわれることになりますが、その流れが私のことを中心にしたフィクションで描かれます。私小説という内容の、その内容が私(わたくし)そのものです。その流れに竿さすようにして、戦後文学、野間宏がその旗手であるうかと思いますが、プロレタリア文学ではなく政治の問題を底辺においてフィクション世界を構築する小説、をめざすのではなかったか。いろんなジャンルの、いろんな描き方があろうかと思いますが、小説というものは政治を底流として社会の問題、極論していえば人間を理想にむけて解放する、ということにあるのではないか。小説の目的といえばいいのかも知れない、目指すところのものです。私小説が無効ではないかとは思わない。全体小説だけが有効だとも思わない。その合間を縫うような戯作があってもよいと思っています。西洋から入ってくる自然主義に、日本の芸術は追随してくるわけですが、いまや、日本文化を創ってきた文化のなかの文芸フィクションに、その心情の基軸を置いてもいいのではないか、と思えます。

 

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<フィクション作り話-1->
フィクション、これは作り話だから小説、ノベル、そういった類のものだと思った。
このフィクションをしてみたい、と思ってあれこれと、想像の中で見まわしています。
小説を書こうと思っていて、どういう筋書きで書けば、人を感動させられるか。
この、いかに感動させられるか、ということが作者にとって重要な事でしょう。
ある種、表現自体が、表現されてしまうと、それはフィクションとなってしまう。
だから、ここでいう美術から始まる五つのジャンル、出来上がったものはフィクション。
そのようにも言えるとおもうが、ここでは、小説を例に出してみようと思うんです。
フィクションの反対がノンフィクション、つまりフィクションでないこと。
作り話ではないノンフィクションではなくて、作り話を作ってみたい。
その作り話は、空想ものではなくて、現実にありうる、大いにありうる内容で書きたい。
テーマを何にするか、これには、今現在の世の中の関心ごとに絞ってみたい。
そうなると、ぼくには人間の本能に根ざした欲求が底辺にくるのだろうと思うわけ。
食欲と性欲、この基本をどういう枠組みで、描き出していけば、人は感動するのか。
まあ、ありきたりなことだけど、男がいて女がいて、その人間が住む環境があって。
それらが複合的に組み合わされ、組成されて、言葉から頭の中にイメージ化されること。
読者の感情を、どのように揺すっていくのか、これが問題になるところです。
食欲のシーンでは、様々なシーンが想定され、性欲のシーンでは様々なシーンが想定される。
このシーンを、言葉に置きかえていくことが、基本となってきます、文章力です。
イメージが言葉化されてイメージに戻されていく、そのプロセスに感情が喚起される。
読みやすくて、イメージ化されやすい文章、文体を研究しなくてはいけません。
そうこうしながら、フィクションを書こうとして、はたと困っている自分がここにいる。
表現することとは何ぞや、との問いかけを、際限なく続けている気がしています。

-4-
<フィクション作り話-2->
大きなテーマには本能、ヒトの本能、動物としての本能ということがあります。
本能にはいくつかあるけれど、食欲と性欲、基本にはこの二つだと認識しています。
テレビの番組では、食べ歩き、みたいな食欲にまつわり、見るヒトの心をつかむ。
書店へいけば、食物に関する活字と写真を組み合わせた月刊誌、雑誌、単行本。
食にまつわる情報が氾濫しています。
ところが、もう一つ、生存や生命にかかわる以上に、子孫を残すという領域の情報。
性欲にかかる情報ですが、これを表出させる、芸術作品への基底にするということ。
そのことについては、制約があって、社会通念上というカテゴリーが導入されます。
この生殖にまつわる部分の表現は、禁句になっている領域があるように思えます。
世の芸術家は、芸術の名のもとにこの部分について、表現を試みてきた歴史があります。
その表現についての近代で、いま現在の、タブーであるタブーでない、その区分線は何処か。
何時の頃からか、ぼくの大きな興味は、このことにあって、その視座から芸術を見ることでした。
その領域をタブーの領域と呼ぶなら、そのタブーをいかに取り扱うか、というのがテーマになる。
ぼくは傍観者ではなく、実作者として、そのことがいかにすれば可能か、を考えていたと思います。
文学において、絵画において、映像において、写真において、タブーとなる一線はどこなのか。
このタブーとなる境界線に興味があって、その線上でフィクションできないか、と思ったのです。
とくに文学上のこの問題について、表立って評論することも憚られ、作品化することも憚られる。
制作者の側の戸惑い、実生活でのそれらの作品の扱われ方、それらを含め表に出したいと思った。
いくつかの罠を仕掛け、バーチャルの世界で、バーチャルなファンタジーを構築すること。
その仕掛けを作ってきて、ほぼ十数年を経たところで、世の状況もかなり変化した感です。

 

-5-
<文学のはなし-1->
<文学のはなし>というカテゴリーを設けました。以前には<文学>というカテゴリーで、ぼくの気に入ってきた作家さんをピックアップして書きました。そこで、もう少し枠をひろげて、文学というか文字を使った領域のことを、エッセイ風に書いていきたいなと思ったところです。なるべく書きやすくするために、フラットに書いていこうと思います。そもそも文章を書くって、けっこうハードルが高いように感じるじゃないですか。たしかに一定の勉強というか、トレーニングを積まないと、それなりの文章が書けないと思うところです。人にはそれぞれ得手不得手があると思います。そういうことでいえば、ぼくは文章を書くことを、それほど苦には思わないから、ほかの表現方法からいえば、得手のほうだと思います。小説を書きたいと思うし、批評をしたいと思っています。これが高じて、文学というと学問だから、日常にしゃべる会話では通用しないわけだと思っています。(続く)

 

-6-
 文学といっても幅が広くて、奥行きが深くて、主題を絞っていくのに困ってしまいますが、ここではイメージをイメージのままにするのか、イメージを言語に置き換えて、文章という奴に組み替えるのか、このあたりのことを扱いたいと思っています。

 小説はフィクションで、作り話ということだけど、作り話の元となる事象は、実際にあったことというか作者の体験をイメージにして、それは映像にして、と言えるとおもうのだけど、その映像を言語に置き換えていく作業だと思います。いくつもの出来事を組み立てて、物語にして、現実に起こったこととは位相がちがう仮想現実にしてしまうわけです。

 書いていいこと、書いてわるいこと、良否という判断を、どこかでしなければなりません。線引きといえばいいのか、どこで線を引くか、ということ。プライバシーとパブリック、それの境目をどこにするのか、とか、性を扱う表記の仕方、世間ではアダルトとか18禁とかの言い方で一線を引くその境目、境界線をどこで引くかということ。

 文章を書くという行為のなかに、そういった様々な枠組みを決めていかなければ、型にならない。扱う現場をどうするか、表すイメージの現場を、どう描くのか、諸々のことです。アダルト、という枠が設けてあり、その枠を示せば、かなりのことが表記できるように思えます。文章表示による性描写など、かなりできる、思うことのすべてができる、とはいはないけれど、かなりの表現ができるのではないか。ここは、アダルトではないから、自粛して、性にまつわる描写は避けなければならない、と自主規制をおこないます。

 文学の枠が、曖昧になってきて、流動化していて、どう組み立てたら「現代」なのか。現代表現研究所を表記して、現代の表現を研究する所、と解釈していきますが、その枠のヘッジをどのようにして策定し、乗り越えるのか、といえば過激になり、その枠の内において、といえば許されるが面白くなくて、ヘッジをヘッジとして、そのヘッジに添って文章を書けばいいのか、と思うところです。それができるかどうか。イメージ、絵とか写真とか映像、ならこの体制の枠で、どこまで許されているのかというヘッジを想定して、それに沿うか沿わないか、そのことですね。では、また、考えましょう。

 

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<太宰治のこと>
 ぼくの人生、生きていくうえで影響を受けた小説家といえば、堀辰雄、高橋和巳、柴田翔、もっと細かくいえば漱石や鴎外、犀星や藤村、でもね、言いたくても大手を振っていえない気持ちになる太宰治をあげなくてはならないと思う。読み込んだというか、太宰フアンはたくさんいらっしゃるから、ぼくなんかはその端くれにも位置しないかも知れませんが、ひところ、太宰抜きには考えられなかった日々がありましたのよ。御年19才から21才くらいでだったでしょうか。「斜陽」もさることながら、「人間失格」を読んだ後の夢は、悪夢というか、奈落の底へ落されたような気持になりました。いいえ、こんな体験はぼくだけじゃなくて、太宰に魅了されるお方は、今もってたぶん、同じだろうと思われます。最近で太宰の話題を出した場面は、もう二年半も前になりますが、たまたま文学の話で、太宰を出して、その人も太宰を読んだと言いました、読んだけれど、友達がショックを受けたほどには、それほど感じなかったという小悪魔的なその人でした。

 

-8-
<滅びの文学>
 突飛な話だけれど、ぼくの手元に「滅びの文学」と題された単行本がある。もう何十年も前のことだと思って中を見ると1996年10月の葉書が出てきた。いま2018年だから22年前ということになる。ぼくは72才になるから50才の時に送られてきた葉書だ。なぜ、どうして、いま、ぼくが、この本「滅びの文学」を手にしたのか、ということだ。懐かしいと思ったから、というのが第一の理由だ。箱から取り出し、まだビイビイ紙がかぶさったままの上製本のそれを開くと、生田耕作さんが亡くなられて三回忌記念の「生田耕作著作展」を企画した<アスタルテ書房>からの葉書だ。この書籍と生田耕作コレクションを購入した記憶が、甦ってきた。

 「滅びの文学」副題に「バタイユとセリーヌ」つまり生田さんのバタイユ論とセリーヌ論をまとめた一巻なのだ。ぱらぱらと読みだしたが、30分もしないうちに、ぼくは本を閉じてしまった。シュルリアリズムの領域を愛好していたその頃、書籍は買ったものの積読に過ぎなかった記憶を蘇らせ、読めるモノなら読んでみようと思ったわけだ。ぼくは混濁して、もう時間がないのだ、と思わざるを得なくて、まだ捨てずに残してあるそれらの書籍を、今しばらく眺めてみようと思うのだ。内容は、「滅び」、滅びだというが実は滅びていくのではなく、生成し、興隆していく、これからの文学形式、あるいは領域、その内容なのだと、ぼくは確信するのだ。

 ときあたかも、明日、「京都極彩秘宝館」展の搬入日である。この展覧会の展示物は主に静止画・写真作品である。およそ20人の作者が、写真を展示する、書籍を展示する、という展覧会であって、ぼくは、この展覧会の企画をロマンリアリズムと括っているのだ。シュールリアリズムからおよそ一世紀を経て、滅びの文学は滅びるのではなく、漸くその社会的認知の時代が来たのだ、と思うのだ。バタイユであれ、セリーヌであれ、アンドレ・ブルトンであれ、大戦の狭間において人間を回復させようとした善意が、悪として正規の社会システムから封印されてしまった。この封印が、今、解かれようとしているのだ。ぼくもペンネームで参加するが、今やすでに、研究すべく時間がない。

 

-9-
<文学のはなし-3->
先に記事を書いてアップしようとしたら、エラーが出て文章が消えてしまいました。
文章イメージと画像イメージとの関係性について、考察していたんですが、消えた。
ついてないなぁ、ではなくて、それは駄文だったから、パソコンがセーブしたんだ。
なんて、考えて納得しようとしているんですが、AIの時代、ロボットの時代ですね。
掲載した写真は手づくり市での「あおい」さんのテーブルです。
和紙写真・和箱・手織り<あおい>という名刺をいただきました。
文学のはなし、ぼくが文学の特に小説に興味を持ったのは、二十歳くらいだったか。
詩を書いて、手作りの詩集を発刊したりしてたのが17歳、高校二年生でした。
それから散文を書くようになるのですが、詩文よりも散文、小説に傾斜します。
たくさん原稿用紙を書き潰しましたよ、コクヨの原稿用紙ではなく特注の原稿用紙。
大学の論文原稿用紙を使いました。
でも、結局、続けられなかった、興味が薄れていきました、27歳かな。
たくさん、小説を読んだけど、読むばかりで書けない、読むこともやめた。
文学は、近代になって小説の形式が出来てくるんでしたか。
音楽もそうですね、古典派、ロマン派、とか形式と内容ですか。
絵画はかなり昔からありますが、近代絵画という印象派あたりからですか。
こう考えてみると、ぼくなんか、どっぷり近代の枠組みから離れていないですね。
文学の現在、現代文学は、そういうことになっているのか、分かりにくいです。
写真の現在、現代写真は、分かっているようで、分かっていないのかも、知れない。
いま、今をどう生きる、あらためて、<いま>をどうとらえるか、ですね。
テーマ自体が、今をどうとらえるか、ということで、<いま>への理解が問題です。

 

-10-
このまえ176ギャラリーで個展してらした鈴木さんが小説を書いていると知りました。
文学のことを話したり聞いたりすることは、最近にはほとんどありませんでした。
大阪文学学校に所属していらっしゃるとか、同人誌を作っていらっしゃるとか、聞きました。
たまたま鈴木さんの小説が載った本を写真に撮らせてもらって、いま見ると、文学と出会う場所。
文学の世界って、内部事情って、全く分からないんですが、知ってるのは半世紀前のことです。

自分なりに、自分の方法で、日々フィクションを手掛けていて、もう10年以上が経ちます。
ペンネームを使って、ブログに連載していて、けっこうアクセスはありますが表に出せない。
それでも物語としてだれでも読める小説は、花と小説に収録してあります。
ブログに連載していますが、ブログはある時期すぎると抹消してしまいます。
ひとりで書いて連載していて、合評とかは全くなし、話題にもできません。

思ってみれば、ぼく自身、文学への傾斜は相当にあるなぁ、と思います。
写真は、簡単、ブログに載せるのも簡単、インスタなんて即席でできますね。
文章となると、なかなか、写真ほど簡単に、とはいかなくて、体力と知力が要ります。
それでも書くのをやめなくて、雑文、これなんか典型ですが、意味為さない雑文の部です。
文学のはなしを、いろいろしてみたいけど、もうついていけないなぁ、と躊躇しています。


小説の話し-1-



お多福飴と金太郎飴ってご存じですか。
年配の方なら、ああ、あの飴、どこから切っても顔が出てくる、あの飴です。
毎年、節分のときにこの飴を売ってる屋台が出るので、見てしまいます。
小説を書いている覆面作家ですが、この輪切りを小説の手法に応用してみよう。
どこから読んでも、愉しめる読み本、それを集大成してひとつの物語にする。
愉しめる読み物だから、むつかしい論理は抜きにして、読んで感じていく小説。
食べること、性愛すること、この二つがおおきなテーマなのです。

昔といっても半世紀以上も前、そんなに昔ではありませんけど、母が飴を売っていた。
どこからか仕入れてきて、屋台で売っていた。
金太郎飴よりもお多福飴に興味をそそられるのは、それが女の顔だからでしょうか。
お多福さんの物語はどんなのか知りませんが、お亀さんなら、わかります。お多福さんとお亀さん、同一人物なのかどうかはわかりませんが、です。
そろそろ節分、2020年、令和二年の節分祭です。
今年は、出かけてみるかどうか、まだ思案中ですが、これは壬生寺のお店です。

小説の話し-2-



芥川龍之介の小説に<藪の中>ってのがあったと記憶しています。
高校の頃に読んだ小説でしたが、たしかひとつの事実にいくつもの証言があらわれる、でしたか。
わけわからんわけではないけれど、ひということみなちがうから、わけわからん、になる。
でも藪の中という言葉を、意識して写真を撮って<無題>として、見ているところです。
写真、イメージの解釈って、いろいろな見方があって、見え方があって、何が正解かわからない。
これ、現状の認識だと思うんです。

それから、プルーストの<失われた時を求めて>という小説があります。
この小説を、ぼくは、詳しくは読んでいませんが、とっても長編で、いくつもの話が連なる。
そういうようなイメージを持っていて、そのイメージからのインスピレーションで、判断します。
まるで知恵の輪のような構造なのか、先にはお多福飴、どこを輪切りしても同じ顔があらわれる。
そういう構造なのか、小説というフィクションの構造について、いろいろ思うわけです。
藪の中の構造、失われた時を求めての構造、ぼくの大袈裟だけど小説作法をいうなら、混合です。

そういえば、いまは21世紀、科学技術が発達して、人間の知能を凌駕する時代ですね。
そういう時代にあって、単純に、人の心を疼かせる、感動させる文章とは、どんなものか。
内容はセックスの現場、これの描写の仕方、リアルロマンと呼んでいるんですが、リアリズム。
ロマンは豊かな、福よかな、艶やかな、人の内面がとろけそうなイメージの文章、イメージ。
ひらがな、カタカナ、漢字、これを巧みに使って、組み立てて、物語にしていくわけです。
日活ロマンポルノ、パートカラー映画、これらは映像作品ですが、これの文章版の話です。

小説の話し-2-



プルーストの「失われた時を求めて」この本ですが、買って、手元にあります。
ぼくは、小説のはなし-2-に話題としてあげていて、それは今年の2月の記事です。
小説の方法ということで、網の目のような壮大な物語を、参考にしようと思っています。
それから今年は、ぼくの書棚の書籍の整理をして、ほぼ手元から他所へいきました。
残すところあと少し、まだ書棚には半世紀前に求めた小説類があります。

プルースト、なんか惹かれるようにして、躊躇もあったけど、購入しました。
縮約版、編集してあるというプルースト「失われた時を求めて」です。
ぼくが密かに描いている小説の全体を、イメージの中のプルーストに求めています。
おおきな括りは、性愛、いろいろなパターンの愛欲、といった物語です。
これらはいちおうアダルトサイトで発表しています。

最近の文学作品を、どのように解釈して読んだらいいのか、わかりません。
若いころに読んだ小説は、自分へのこだわりで、好きなように読んだ気がします。
熱心に読んだ作家さんは、太宰治、高橋和巳、開高健とか大江健三郎とか、です。
でも最初に出会ったのは、柴田翔「されどわれらが日々」、18歳のときでした。
文学史を専攻していたので、近代文学の名作は、いちおう語れるくらいは読んだ。

気持として小説家をめざしていた時期があったことを、書いておきます。
1968年から1972年ころまで、ほんとうに小説家をめざしました。
でも、まあ、時代の中で精神が緩んできて、写真に移行するわけです。
それ以降も、メモ、ノート程度ですが、文章を書くことを続けていました。
その延長上でブログに記事を書き、文章を書いていて、公開しています。






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最新更新日 2021.327

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