日時:2019 年 9 月 7 日(土曜日)
午後 5 時〜午後 7 時
(午後 4 時30分開場)
登壇者:中川 繁夫氏(写真編集者)
会場:ビジュアルアーツ専門学校大阪
VD1校舎(新館)7階7B教室
(大阪市北区曽根崎新地 2-5-23)
※阪急梅田、阪神梅田、JR 大阪、
地下鉄梅田、東梅田駅から徒歩 10 分。
地下鉄四ツ橋線西梅田から徒歩 5 分。
※会場には駐車場はございません。
参加無料 【事前申込み不要】
連絡先:jsahp.kansai@gmail.com
※ただし、9/7 当日のみ受付、午前 10 時〜午後 3 時
※会場への電話でのお問い合せはご遠慮ください
映像論
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映像を享受する立場
映像は、一枚の写真イメージが連続したもので、最初の映画が制作されてから120年ぐらいでしょうか。
1895年、パリにて公開上映されたようですね。
これは写真の技術発明が1839年、それから半世紀以上経ってから、機械が開発されることによります。
写真技術だってそうですが、それを構成させる機械、カメラであり映写機であり、これが必要でした。
それから120年を経て、これから観察していく現在的在りかたにまで及んでくるところです。
今の現状を、ひとことでいえば、ネットの時代にネットを通じて享受する、これが先端であると思います。
体験的に映像論を紡いでいけばいいと思って、自分を振り返りながら記述していこうと思います。
およそ半世紀の映像の流れが表わせればと思うところ、1960年代から入ろうと思います。
映画館で見る映画のことです。
1950年代半ばでしょうか、文献的資料を手元に置かないので記憶だけですが、日本映画です。
東映のチャンバラ映画と怪人二十面相、大映や松竹の文芸映画、東宝、新東宝、日活がありました。
全部で六つの映画制作会社があって、ぼくは京都の西陣において、その映画を見ました。
高校生になるのが1962年で、河原町界隈の映画館で洋画を見るようになります。
高校を卒業するのが1965年、それから数年間には、エロス系の映画を観に行きます。
封切館ではなくて、二番館といえばよろしいか、パートカラー映画三本立てとか。
まだビデオがなかったころで、レコードプレーヤーと45回転ドーナツ版とLPレコード。
8ミリ映画の映写機、そのうちテープレコーダーと磁気テープが出始めます。
ビデオデッキとビデオテープが世の中に出てくるのは1970年代の何時でしょうか。
ビデオカメラ、ビデオデッキ、ビデオテープ、この三点が個人所有できるのが1970年代後半。
1980年代の初めごろには、VHS方式が主流になって、ビデオデッキでテレビを録画する。
ビデオカメラが普及する裏側には、男女の内緒の場面を、カメラで録画することがあります。
出版物も、写真も、そうですが、男と女の出来事がいつも記録され、鑑賞され、残されます。
個人制作することも可能になりますが、それうよりもメディアを販売するルートが作られます。
書店で買う、ショップで買う、貸本屋があり、貸ビデオ屋があり、つまりレンタルショップです。
アダルトショップの話になるから、現在日本のここでは、不適切な内容なのかも知れません。
なので概略だけにしていきますが、性を扱う内容のイメージは、観るのに制限がかけられます。
映画館では18歳未満お断り、本やビデオテープもそのようで、その部分は修正して隠します。
ビデオテープの時代になって、個人で撮られて観られる以外は、専門の店頭では対面です。
それがネットの時代になると、対面ではなくなります。
つまり販売や提供する相手が見えないところで、契約が成立してしまいます。
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映像を提供する立場
写真や映像を、表現の方法として使う個人を、作家と呼ぶことにします。
タイトルは、映像を提供する立場、なので作家であることが基本です。
作家によって制作された作品は、いくつかの枠組みの中で他者に提供されます。
提供者が個人であるか組織であるか、有料なのか無料なのか、これの組み合わせです。
組織が有料で個人に提供する、個人が無料で個人に提供する、そのほか、です。
作家は、作品を提供する代償として対価を得ますが、これが基本形です。
プロ、アマ、という言い方は適切ではないけれど、対価を得るのがプロです。
ところで、今やアマチュアという言い方は妥当ではないけれど、無償提供があります。
写真なら展覧会、映像なら上映会、これらを企画して、有料にならない場が多くあります。
もちろん、無料という向こうに、有料という領域があって、そこに繋げられるかどうかです。
いやはや、まったく有料には繋がらないところで、無償提供する、そのこともあります。
提供する立場としても、個人生活において消費のための金銭が必要になるから、稼ぎたい。
でも、個人生活のための金銭は別のところで稼ぐから、作品では稼がない。
作品を扱うのにお金、金銭の介在が、大きな意味を占めることになります。
制作した作品がお金になるかならないかの議論は、いまのとこと置いておいておきます。
映像を提供する立場として、その内容、コンテンツのテーマ、これが大事です。
制作者の目的が、はっきりしていなければ、提供される方が、戸惑ってしまいます。
大きくは、劇場で鑑賞する映画、テレビで放映されるドラマ、商用につくられ作品です。
これらは大きな社会装置の中で作られていくので、個人としてはコンテンツ提供者です。
そうではなくて、個人が制作する映像、YouTubeにアップして、無料で提供する作品。
映像に限らず、絵画や写真、文学作品においても、社会システムのなかで、成立します。